メジュゴリエの偽聖母

カトリックの一部の者が惑わされている私的啓示「メジュゴリエの聖母」は神からのものではありません。それは公にも私にも容易に確認ができます。

聖なる公教会への反対:メジュゴリエの"幻視者"

「わが娘よ、人々が絶えず忘恩と侮辱をもって御心を貫く棘に囲まれた私の御心を御覧なさい。」(祝せられた童貞よりルチア修道女へ)
聖なる公教会への反対:メジュゴリエの"幻視者"

 

もし存在しないものに対し祈りを捧げるとしたら、その祈りは何処に届くのでしょうか。ここでは世界中に知られた「メジュゴリエの聖母とその幻視者達」の啓示と関係者達の動きを考察致したく思います。彼ら「幻視者」らは自身を特権ある霊魂と自認している様ですが、彼らが伝達する「啓示」や活動は実際聖なる公教会の信仰や教義や伝統を破壊するものであり、ここで注意を促したく思います。

真心からの聖母崇敬から一連のメジュゴリエの啓示に信頼を置かれている方に責はないものと確信致します。しかしながら聖ルイ・デ・モンフォールは「信心と畏敬の念を込めずに杜撰(ずさん)に唱えられる天使祝詞は皆悪魔がひったくって行く」と著述されましたが、もし祈りを捧げる対象が存在しないもの、もしくは天国からのものでなければ、我々は裏切られ、また全ての捧げる祈りは悪魔の所有にさえなるのではないでしょうか。

 

アビラの聖テレジア教会博士は言われます。
「もし聖なる公教会の掟と聖書に全く反しないのであるならば、ただその啓示を尊び真実のものとし、我々はそれに続くべきです。」

「もしその啓示が聖書からほんの少しでも外れていましたなら、私はその中に悪魔の罠を見るでしょう…そうした場合、他のしるしを探す必要はありませんし、またその霊のやり方の何たるかを更に調査する必要もありません。このしるしは単純にして非常に明確に悪霊の企みをあかします。もしそれが天主の霊であるというならば、世界中が私に保証したとしても、私はまだそれを信じないでしょう。」

 

超自然性の出来事が知られそれに対する申し出があったあった場合、認可もしくは否認を与えるのは教区司教の義務です。ディレクロス神父は当地のザニチ司教様にインタビューを行いました。

「貴方様は第一の問題として出現に反対されますか?」

「私は完全に反対致します。私自身、巡礼団を組織し8回ほどルルドに参りました。私は至聖なる童貞への信心のために多くの事を行いました。ベルギーのバネックス、イタリアのシラクサの正当とされたマリアの御出現の3つの地にです。」

「しかしながら、メジュゴリエを確信されておられませんね?」

「私は実際に喜びを持ってルルドを私の教区に受け取ります。それは偉大なものになるでしょう。しかしながら、天主の御前に、私の良心の前に、公教会の前にこれらの出現(メジュゴリエ)が本物で超自然的あると宣言する事は出来ません。私は確かに罪人であり、司教にふさわしくない者でありますが、私がこの事を虚偽と、これが嘘と知りつつ真実と見なさせるのは、私の生涯の全ての罪の中でも最悪なものになるであろう事を信じます。」

司教様の御言葉にも関わらず人々はメジュゴリエに集い続け、関係者の司祭は巡礼団を組織する事を止めませんでした。

その後この幻視の調査のために20人の司教から委員会が構成され、数年間調査が行われましたが、1990年11月にメジュゴリエにおけるマリアの出現の証明が無いという公式の声明を発表しました。それを受けて教理省のメンバーの一人は言いました。「超自然の出現に対し司教の明示された声明は、世界中の敬虔な人によって受け入れられるべきです。」

またザニチ司教様の後に教区に任命されたペリッチ司教様もまたこれらの幻視に強く反対されました。

 

彼ら"幻視者"の主張が正しければ、のマルジア・パブロヴィックは1981年6月25日から少なくとも8270回出現や伝達があった事になります。イヴァンも少なくとも8270回、ヴィッカは少なくとも770回、イヴァンカは少なくとも1450回、ジェイコブには少なくとも6290回あった事になります。しかしその中の一つの出現でさえも、認可されていません。

 

過去の諸聖人方への御出現や私的啓示に対し、調査には膨大な時間がかかり、また一度禁止されたものも少なくないので、メジュゴリエも同様であろうと言われる方もいらっしゃいます。実際「神のいつくしみへの信心」は(不適切な情報を与えられた事によって)聖座は一度禁止令を出していますし、「不思議のメダイ」の御出現の場合も最初聴罪司祭はこれを信じる事を禁じました。

「神のいつくしみへの信心」の場合聖ファウスティナ修道女は「(この信心はある期間に)完全に無に帰された様な状態になりますが、その時から真実を証明する天主の力強い働きが行われ、この業は以前から公教会に存在するにも関わらず、教会の新しい輝きとなります。」と前もって日記に書かれ実際その通りとなり、「不思議のメダイ」の場合は聖母は「聴罪司祭は私の忠実なしもべですから私の御言葉に反対せず、きっと私の御望みを果たすでしょう。」と言われ、実際その通りになりました。しかしメジュゴリエがこれまでの声明を一切取り下げられて将来認可される保証は全く何処にもありません。こうした禁止令や認可の是非も天主の御摂理であり、信者は望むと望まないに関わらずそれに従うべきではないでしょうか。

 

 

"幻視者"が受け取った"啓示"と称するものの内容

「聖母は宗教が地上において分割されると言われました。しかし全ての宗教者は御子によって受け取られます。」(イヴァンカ)
※この言葉が正しければ秘跡や教会は無意味にならないでしょうか。キリストは御自ら「全ての民族を弟子にし、聖父と聖子と聖霊の御名によって彼らに洗礼を授け、私があなた方に命じた事全てを守るように教えよ(マタイ28:18-20)」と仰っています。

「聖母は常に唯一の天主がおられ、人々が不自然な分裂を強いたのだと主張されます。もし当人が他宗教を同様に尊ばないのであれば、その人は真に信じる事、真のキリスト信者にはなれません。」(イヴァンカ)
教皇ベネディクト8世は言われます。「我々は全ての人間の救いに教皇への服従が絶対に必要である事を宣言し、語り、定義し、発するのである。」また、異端を拒絶し信仰を守り通した殉教者は真のキリスト信者ではないのでしょうか。

「彼の司祭と牧者によって王として群れを支配され、天主は全宗教を統括なさいます。」
教皇イノケンティウス3世は言われました。「忠実なる唯一の公教会の外に誰も救いはないのである。」

「聖母は全ての宗教者を親愛なるわが息子、娘と呼ばれます。」(ヴィッカ)
※聖母は聖なる公教会から離反し反対する宗教も肯定されるのでしょうか。

「聖母は言われました。地上で分裂している皆に伝えて下さい。イスラム教徒、東方正教会信者もカトリック信者と同じであるという理由によって、御子と私の御前にて等しいのです。」(ヴィッカ)
※聖母御自身がカトリックと他宗教が同等であると、過去に伝達された事があったでしょうか。

(1981年9月16日の"啓示"から)
「彼女(聖母)はまた、聖母が最善の方法で彼らに(幻視を得た事に対し)報いたので、彼ら自身のために祈る必要がない事を伝えました。彼らは他の事のために祈るべきです。」
※聖母が人々に対して彼ら自身のために祈る必要がないと言われたり、幻視に対する報いが個人の祈祷に代えられると言われるでしょうか。キリストでさえ、「イエズス、御自分のために祈られ給う(ヨハネ17)」とあります。

1993年、戦争中に関係者の一人である"幻視者"ジェイコブは言いました。「聖母は今日、また過去の12年間中毎日私にユーゴスラビア中の平和を祈る事を求められました。童貞は私の祈りによって戦争を止める事が出来る事を私に確信させたのです。」
※信者は彼に尋ねるべきです。その"幻視者"が前ユーゴスラビアの戦争を止める事が出来たのなら、なぜ彼は終結のための祈りを捧げなかったのでしょうか。その間20万人以上が殺害され、数千もの教会や住宅が破壊され、200万人以上の人々が住む地を追われました。

 

聖なる公教会への反対

メジュゴリエの聖母出現と称されるものに対し、幾人かはそれによる回心や教区のロザリオの熱心なる祈り、聖母信心などの"良い実"をもたらした事を取り上げ、これらの幻視がまぎれもなく天からのものである証拠と主張します。また他の一部の人は「もし人々が天主に祈るのであればメジュゴリエに行って彼らの言う出現地に巡礼しても構わないし、聖母を全く崇敬しないよりはメジュゴリエの聖母に対し祈る方が良い。」と言います。

しかしメジュゴリエの人々の祈りや態度をもってその出現が天からのものであると一方的に証明は出来ません。また我々は聖なる公教会の教義に対する闇のマントを保持する限り、例え一部に表面的な好結果が見えようとも結局悪魔共がこれらの結果を喜んで受け取るものと考えねばなりません。一つの信仰箇条の否定が霊魂を大罪の状態に置く事に注意し、メジュゴリエの啓示と称するものが我々を何に向かわせているかを考えねばなりません。

カトリック要理より:第一戒に背く罪は、信仰、希望、愛の対神徳に反する罪と、天主への礼拝に反する罪です。対神徳に対する罪には次の様なものがあります。
信仰に反する罪:天主を軽んじ、信仰を軽視し、怠慢や無関心から信仰を危うくし、信仰箇条をわざと疑い、それを否定し、異説を唱え、信仰を捨て、あるいは信仰を表すべき時にそれを隠す事など。)

 

 

幻視者・関係者の生活

"幻視者"の一人、ヴィッカ・イヴァンコヴィックは1981年9月に、イタリアの週刊誌記者に修道女になる望みを打ち明けました。彼女はその後修道会に入会し登録されますが、修道院には入らず、20年後にグラデナ近隣の教区の若者と出会い、彼らはメジュゴリエの中で結婚しました。2000人以上のゲストが招待された結婚祝賀会中に彼女は夫と数キロ離れた新居に行き、そこで"幻視"を得たと言います。それから二人は祝賀会に戻り、「ローマから世界へ」と発表を始めました。

彼女自身は入会した修道女であるのに、20年後には自身のウエディングドレスを選ぶためにローマに旅行したのです。

彼女は言います。「聖母は我々に選択の自由をお与え下さったのです。誰でも彼らが望む職業につく事が出来ますから。今私が結婚しているという事実に関わらず、キリスト信者の信仰は結婚においてもまた同様にあかし出来るので、私は聖母の伝達を広げ続けるものとします。」

ルルドの聖ベルナデッタは14歳になる前に言いました。「自分は修道女になるべきでありますが、どの修道会に入りますかは存じません。」聖女は1866年7月に修道女服を受け取り、1879年4月に帰天するまでそれを保ちました。

ファティマのルチアは1921年修道会に入り、1948年に跳足カルメル会に入会し、2005年に帰天されました。)

 

マルジア・パブロヴィックは2001年にイタリアのジャーナリストの質問に応じました。質問は「何故あなた方のうち誰一人として司祭や修道女になる事を決めないのですか。」というものでした。
彼女は答えました。「私は長年修道女になろうと思っていました。そして私は修道院を訪れ始めました。そこに入る望みは強かったのですが、一度上長の修道女が私に言いました。

『マルジア、もしあなたが入会したいのであれば、あなたは非常に歓迎される事でしょう。しかしもし司教様があなたに対しメジュゴリエに関して語ってはならないとお決めになられましたならば、あなたは従わねばなりません。』

その瞬間私の使命は恐らく私の見聞きした事を証言する事であり、修道院の外に聖性の道を見出す事が出来るだろうと考え始めました。」

マルジアは司教が今日までも教会が認可を与えていない"幻視"を広めてはいけないと決定されたならば、司教に従順である事が出来ないという信仰生活の求めとこうして折り合いをつけました。

彼女はその後メジュゴリエの"男女共同"の彼らの共同体に入り数ヶ月そこに留まりました。また彼女を通して聖母が書かれた伝達として、1987年3月8日にこの共同体が天主の御計画、御業であると書きました。その翌年1988年7月11日、彼女の恋人であるパウロ・ネッティと共にこの共同体から離れる時、それらの伝達を全て否定しました。

 

イヴァン・ドラギセヴィックはヘルツェゴビナフランシスコ会の志願者となりました。彼はその間も"幻視"を受けながらヴィスコの神学校に通いました。彼は何度も落第し、ドゥーブロニクの神学校に行かされました。彼はそこでどうにか合格しましたが、"出現"に対し彼の才能を見せる事が出来ぬまま1983年1月に家に戻りました。

 

彼らの一つの啓示はザニチ司教のために祈りなさい、というものでありました。これはメジュゴリエの彼らの祈祷会に関するもので、幻視者は「聖母は週に二回ほどパンと水だけの断食を行い、3ヶ月後には週に三回パンと水だけの断食を求められました。」と伝えました。

祈祷会を設立したブラシッチ神父はこれらの行い(祈り・断食)によって司教は幻視に対し降参するであろうと言い、司教の許可無くメジュゴリエの中に100台ほどの寝台を備えた修道院を建築しました。そして司教はそれ以後も認可を出される事なく、ブラシッチ氏は祈祷会の指導職から除外されました。

 

3人の自称幻視者達はこれまで修道会に入会しようと試みたにも関わらず、それをやめて現在は結婚して各自の生活をしています。しかしながら未だ規則的な"幻視"を得ています。修道会に入会しなかった他の自称幻視者も一年に一度"出現"を受けます。これは"特権ある霊魂"への報酬と考えられるでしょうか?

 

2004年の地元司教の否認

2004年5月31日 教会の御母祝せられた童貞マリアの祝日 モスタルにて

ラトゥコ・ペリッチ司教

メジュゴリエにおける"幻視者達"の偽りに関する証言者、教会の権威者を、信仰の潔白のために努力する世界の至る所における信心深き人々の正当な数としてして下さい。

彼らの中の一人はロンドンのマイケル・デイビス氏です。私がモスタル教区に対する責任を負いました時、ウェールズの人であるデイビス氏とクロアチア人である彼の妻マリアを知りました。彼らは2000年11月11日に帰天した前責任者であるパヴァロ・ザニチ司教様の友人でありました。私が彼らの批判に続くために彼がした努力に感謝せねばならず、21年後のメジュゴリエというその本の中で彼が展開してきた出来事に関して出されてきた信じ難い要求を非難せねばなりません。

信じるに相応しいものとして、何故教区司教としてメジュゴリエの"幻視"を受理しないのか?私は"幻視"が真正で聖母が真にそこに御出現になられたのだと本当に信じたいのであるという前提から始めます。確かにそれだけではありません。しかし真実は我々を解放し、そして束縛します。私は近年のメジュゴリエの出来事に従うと共に、次の結論に駆り立てられました。

第1に、メジュゴリエの6人の"幻視者達"のいわゆる"幻視"は、1981年にさかのぼり一日単位で"幻視"をなおも見る人の半分と、その一方でもう半分が年に一度だけ"幻視"を見ている、"幻視者"と彼らの支持者に関する話しが噂や旅行の理由によって地区、教区の境界を超えて広まっていきました。宣伝する旅行者の評判の中で"幻視"が回心を生み出した事に疑いはなく、彼ら自身のための非常に現実的な利益のある"幻視"を得た者は、宗教の熱狂者の評判を広め、彼らは告白をしロザリオを唱えるためにメジュゴリエに数千キロの旅行をしました!しかしながら"幻視"は教会によって認可されていません。それらを信じる事に誰にもいかなる義務もありません。

第2に、世界の至る所での多くの聖職者と同様に、ヘルツェゴビナにおける幾人かのフランシスコ会士は"超自然的な幻視とメッセージ"の跡地としてメジュゴリエの概念を促進しました。多くの信心深き人々は更に更にメジュゴリエを訪れ続けます。"聖母の御出現"という事の証人達を運び出そうとするのみならず、信じるに相応しいものとしてメジュゴリエの出来事と幻視を認可させるために、まさに至高以外のものではない教会当局に影響させる圧力をもたらしました。

第3に当惑の大部分として、何故聖職者と信心深き者達がこれまで真正に認可された幻視の源から充分飲む事をせずに、実に幻視とメッセージを渇望するのでしょうか。例えルルドやファティマ、他のものを加えても、代わりに"聖母の御出現"のしるしが見出せるかもしれない認可の無いメジュゴリエにおける"幻視"に向かいます。教会はルルドやファティマなどの幾人かの幻視者を認可し、彼らの死後聖人や福者としましたが、メジュゴリエの闘士達は誰が一番早く教会に至る事が出来るかを互いに競っている様に見えます。教会は単に"幻視"の真正な認可を断っただけではなく、未認可の"幻視"の確実性に基づくのであるならば個人、もしくは公的な巡礼を禁止しました。

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