メジュゴリエの偽聖母

カトリックの一部の者が惑わされている私的啓示「メジュゴリエの聖母」は神からのものではありません。それは公にも私にも容易に確認ができます。

2:2 カリスマ運動の起源

第2部メジュゴリエ

2カリスマ運動の起源(霊の識別:2-2)


 エドワード・オコーナーの書いた『聖霊降臨運動 ─カトリック教会における─』(小林珍雄訳/エンデルレ書店)は、聖霊降臨運動の始まりをこう書いています。

「その[カリスマ運動=聖霊降臨運動の]主流は1901年元旦に発した。カンサス州トペカのパーラム聖書学校で、迎春のための先夜祭として信心深い祈祷会が行われた。元旦になっても『主の臨在』はまだ残り、『よりすぐれたもののため主を待ち望む心を』しずめてくれた。学生の1人オズマン嬢が、こらえられなくなって、パーラムに、新約聖書にも示されたいるように、聖霊の賜物を受け取れるように、彼女の心臓に彼の両手をのせるように頼んだ。その通りにされると、彼女はいちじるしい霊的経験をうけた。あとでかの女のいったことばをかりれば、『ちょうど活ける水の河が私の内奥の存在から噴出しているようだった』。かの女は、異語で祈りはじめ、その翌日あるボヘミア人は、かの女はボヘミア語を話していたとみとめた。……(13~14頁)」

 これが聖霊降臨運動の始まりでした。

 この運動の特徴は2つあります。

 まず一つは、「聖霊による洗礼」。第2は「異語で語る」ことです。この異語とは(異言とも言う)自動的に訳の分からない言葉で話す gossolalie と言うのと(これを異言と呼ぶのがふさわしいだろう)、普通には自分の知らないことを外国語で話す zenoglossie(これを異語と訳すのがふさわしいだろう)というのとの2つです。ここでは、自分の知らない外国語で話すという意味での「異語」でアグネス・オズマンは話し出したのです。

 しかし、この著者オコーナーはここで全く言及しませんが、よく調べて見ますと、最初の出来事は1901年1月1日と2日の間の夜、正確には午後11時に起こりました。

 メソジストの牧師であるチャールズ・パーラム(Charles Parham)は、聖書を教えるための学校をアメリカ合衆国カンザス州に作りました。その学校はトペカ(Topeka)の家と呼ばれていました。そして、聖霊降臨運動の最初の一歩は、このトペカの家で起こりました。

 パーラムとその生徒は、現在のプロテスタント教会の活力の無さと初代教会の生命力との違いに引かれていました。『使徒行録』で語られるような初代教会の信者らの霊の現れ、特に異語などはどうして消えうせてしまったのか、とこれらは自問しました。このためにこそパーラム牧師は1901年の元旦に祈りの会を開くのです。

 すると、そこにいた学生の一人であるアグネス・オズマン(Agnes Ozman、彼女は後に結婚し、ラ・バージ(La Berge)夫人となる)は、新約聖書にあるような聖霊の賜物を受けるために、パーラム牧師に按手を願ったのです。パーラム牧師はためらいましたが、それを受け按手しました。「ちょうど活ける水の河が私の内奥の存在から噴出しているようだった」と彼女は後で言っています。これがいわゆる「聖霊による洗礼」でした。

 しかし奇妙なことに、そして非常に奇妙なことには、オズマン自身が書いた自分の体験についての記述は、見つけることが出来ないのです。この運動の創立者の書いたものだといいますのに…。何か、その記述には明らかに悪魔的なものがあるのでしょうか? ともかく、そういう訳で、この運動の起源は、少なくとも闇に包まれています。

 しかしこの我々に与えられたものを見ますと、少なくとも次のことが言えるでしょう。

 まず、この「運動」の起源には天主をさらによく愛そう、贖い主なるイエズスにもっと一致しよう、主のご受難において主キリストともっと親密に一致しよう、そのために愛によって苦しもう、などという考えのかけらもありませんでした。

 もっとひどいことに、天主様の御旨にさらに良く答えるために、天主様のみ旨をより良く生きるために、聖性において成長するために、聖寵の恵みに満たされ、清められるために、聖霊の恵みが欲しかった、などというのでもありませんでした。

 そうではない!ただ単に「聖霊を欲し、『すぐ何らかのしるしで』それを知らせるように神に願った(同書14頁)」のです。それは「こらえられなくなって」しまうので、「すぐ」に、目に見え耳に聞こえる形で、初代のキリスト者たちが持っていた特別の力が欲しかったのです。オズマンは何で私にもこの神の力が貰えないのか?と自問するのです。

 ちょうど奇跡を行う力が欲しく信者を装って、金を持って来て「按手すれば聖霊を授けられるように、わたしにもその能力をください」と言ったあの魔術師シモンとそっくりではないでしょうか!この最初の異端者、宗教詐欺師は、天主への愛などそっちのけで、ただ奇跡を行う力が欲しかったのです!

 この望みにおいて、どの霊が彼女を訪れえたかを識別するのは大変容易なことです。1901年1月1日の夜11時に機械的に按手によってすぐに叶えられたこの力への欲求に答えるのは天主様なのでしょうか?まさか!さらに言えることは、メソジストの牧師という、司祭の権能の全くないものが天主様の聖寵の運び手となることは、少しも出来ないのです。カトリック教会の洗礼や堅振と根本的に区別される「聖霊による洗礼」は、聖霊降臨運動の彼らが言うように成聖の聖寵を与えるものではなく、「カリスマ(特能)」、「異常の賜物(39頁)」を与えるものです。これが、我々が確信を持って「悪の者はサタンの力にしたがって現れ、力としるしと偽りの不思議をすべて行い、また救いに至る真理への愛を受けなかった滅びるもののために、不義の惑わしをするであろう。(テサロニケ後2;9-10)」と聖パウロの語った「サタンの力にしたがって現れ、力としるしと偽りの不思議」であると判断する根拠の1つです。

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