メジュゴリエの偽聖母

カトリックの一部の者が惑わされている私的啓示「メジュゴリエの聖母」は神からのものではありません。それは公にも私にも容易に確認ができます。

第3部メジュゴリエ・続 3:1

第3部メジュゴリエ・続(霊の識別:3-1)


1出現以前の幻視者 「他の人よりも良くも悪くもない」(幻視者自身の表現)

 

f:id:medjugorje:20180403155237j:plain

 

 「メジュゴルイエは種々の点で[第二バチカン公会議後のあり方を具現し、全く別の、全く新しい状態の中にある。聖母を見た6人はもはや子供ではない(一人を除いて)。彼らは皆十六歳から十八歳までの年齢で、思春期という不安定な時期は通り過ぎている。」(ロランタン『メジュゴルイエにおける聖母マリアの出現』p29)

 彼ら6人のうち5人はメデュゴリエMedjugorie村の抱える5つの部落のうちの1つであるビヤコヴィチで生まれました。メデュゴリエは、モスタルMostar教区の小教区であり、「小教区の教会はかなり大きく,1969年に建てられ、聖ヤコボに奉献されている。親鳥を囲む雛のように、この教会を囲んで5つの村[部落]があり、総勢530家族の最大の宝物はカトリックの信仰である。この5つの部落の1つがビアコヴィチで、『出現の山』の麓に位置している。ほとんどが岩のやせた土地で、主にたばこと銘品のぶどう酒を産出している。」(バルバロ神父『メデュゴーリエでの聖母の出現』pp34-35、1987年ドン・ボスコ社を参照)

 ミリヤナMirjianaはサラエボの高校に通っていました。彼女は「サラエボの金髪美人」のあだ名を持っていました。

 ミリヤナは、最初の「出現」の後にこう質問を受けました。「聖母があなたに御出現になっても、あなたは男の子たちとつき合い続けているし、彼らとのおしゃべりがそんなに好きで、一体何になるのですか。」ミリヤナは答えて、「聖母は私たちを偽りの偽善的な信心家にしようとするつもりはありません。」(P. Marijan Ljubic, "La Vierge Marie apparait en Yougoslavie", p.44, 1984)

 警察の要求で、ある女医はこう尋ねました。「あなた達はマリア様の娘にしてはあまりにも流行を追いすぎています。」(Babulo, p37)

「ミリヤナは外見上大都会のどこにでも見かける普通の現代的娘です。・・・出現は、彼女の生活様式をたいして変えませんでした。」(S. Kraljevic, "Les apparitions de Medjugorje", p68. 1984)

 ミリヤナは、ヴィッカVickaとイワンカIvankaとともにトリオを組み、この3人は離れることが出来ませんでした。この三人は「毎年の夏はいつも一緒だった」(ヴィッカ)。ヴィッカとイワンカ、そしてマリヤMarijaはモスタールで勉強をしていました。ヴィッカは洋服学校、マリヤは理容師学校、イワンカは普通高校に通っていました。

 彼女たちは、流行を追い、現代的な若者のなりをし、少し開放的です。ロランタン師によると「イワンカは背も高く顔もきれいで、部落の間ではもう恋人がいると噂されていました。」 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ カトリックへ
にほんブログ村