メジュゴリエの偽聖母

カトリックの一部の者が惑わされている私的啓示「メジュゴリエの聖母」は神からのものではありません。それは公にも私にも容易に確認ができます。

11 幻視者の霊魂の実り(メジュゴリエ)

11 幻視者の霊魂の実り

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 超自然の出現には、幻視者において、常に徳への前進が見られます。私たちは彼らの美徳について判断する資格はありません。しかし、彼らの誠実さについてみてみましょう。つまり、彼らの言うことは信頼が置けるのかどうかと言うことです。

 ザニッチ司教は確かな証拠を持って幻視者を嘘つきだといいます。まず、彼らは1981年6月24日丘の上に散歩に出かけた動機について嘘をつきました。6月30日チェルノCernoへ行った動機について嘘をつきました。彼らの預言通りにことが起こらないと、彼らは出現がもうすぐ終わると告げたことを否定しだしました。約束の偉大な印がいつ起こるかについて正確な日付を示した、という事実を彼らは否定しました。無条件の癒しが起こるという約束を伝達したことを否定しました。出現は、反抗的なフランシスコ会士たちに対して悪い態度を取ったことで、司教を告発するメッセージを与えました。しかしこのことについて、彼らは何度も嘘をつきました。

 ロランタン師は明らかな嘘でも幻視者を弁護しようと詭弁を使っています。

「幻視者たちは秘密を守らなければならないという難しい状況に置かれていました。[しかし、司教が、幻視者を嘘つきだと告発するのは、ほとんどの場合秘密とは全く関係ありませんので、この議論は当たりません。]彼らは、まだ子供です。[しかし、ロランタン師は1981年に既にこう書いていたではないでしょうか。『聖母を見た6人はもはや子供ではない(一人を除いて)。彼らは皆16歳から18歳までの年齢で、思春期という不安定な時期は通り過ぎています。』(p29)と。その当時では、その首謀者ヴィッカは21歳、最も若いヤコブは14歳だった!何が子供なのでしょうか!?]・・・難しい状況の脅迫を受けた状況下で、外交的な言葉を言ったとして、それを嘘だと言うべきでしょうか。・・・幻視者たちのした、難しい状況下での身のかわしは、地中海の国における、通常のやり方の範囲を越えていません。・・・」

 こうして、ロランタン師は「地中海の国では」嘘をつくのが「最上のやり方」であって「通常のやり方」だというのです。私たちは、このようなことを初めて聞きます。これがカリスマ運動の新しい道徳規範なのでしょうか?実際ロランタン師も「難しい状況下では」頻繁にこの「通常のやり方」に避難するようです。

 カリスマ運動の推進者であるスプリットの司教、フラニッチFranic司教は幻視者たちの「嘘」は重要ではないと次のように説明しています。

「一般的に、カリスマ運動者は、自分の言う全てのことにおいて熟しており、聖霊の息吹によってことを行うのであるから、それがたとえ司教であったとしても、自分の長上にでも、真理を言う義務がない。もし、この長上が霊に従って行動しておらず、刷新運動の利益に合致していないときには、である。この原理を、個々に適応しよう。メデュゴリエフランシスコ会士と、幻視者たちとは、御出現という全てにおいて聖なることのため、この御出現を守るために、(そして、この御出現は確かに本物である、何故なら、聖霊が彼らに、おのおのに、自分の最も奥深くでそれを感じさせてくれるからであるが)司教に嘘をつくのである。これは、嘘にはならない。さらには、ザニッチ司教は真理を知るいかなる権利も持っていない。何故なら、彼はカリスマ運動者ではなく、真理を理解することが出来ないからだ!この、カリスマ者でないものにとって、多かれ少なかれ、こうやってあからさまに、故意に真理を軽蔑すること、これがメジュゴリエのカリスマ者と、その司教との間に起こった、ヴィッカの日記に関する論争の根元である。そして、カリスマ者はこの日記を彼に知らせることを拒否するのである。」

 いや、カトリックは昔から、真理を愛し、嘘を憎みます。嘘つきは天主からの真の伝令者とはなり得ません。

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