メジュゴリエの偽聖母

カトリックの一部の者が惑わされている私的啓示「メジュゴリエの聖母」は神からのものではありません。それは公にも私にも容易に確認ができます。

14 信者の霊魂の実り(メジュゴリエ)

14 信者の霊魂の実り

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 ファチマで起こったこととは反対に、メデュゴリエに群衆を集めたのは、ゴスパではありませんでした。カリスマ運動の聖職者たちが彼らをメデュゴリエに動員したのでした。クロアチアのようなカトリック地方は司祭の発言には権威があります。司祭が「マリア様が御出現になりました。巡礼をしなければなりません。」と言えば信者はそう従うのです。信者はそこで祈りを熱心にし、告白もするのです。しかし、これらの信者を見て、「メデュゴリエの信者は熱心だ、だから出現は本当だ」とは言えません。クロアチアの人々の心には伝統的なカトリック信仰が根付いているのです。十字架の道行き、マリア信心、御聖体の礼拝等々、彼らの心に染みわたっています。クロアチアの人々にとって、御聖体拝領と告解とは離すことが出来ないのです。クロアチアの人々を賞賛して、或る司祭はこう書いています。

「マリア様はクロアチアの元后ではないでしょうか。ここでは、全ての婦人はロザリオを手に持っていると言われます。ロザリオをミサの間も手に持って唱えている人もかなりいます。ロザリオは5月と10月には公式に唱えられます。勿論個人的にはもっと唱えられます。日常的な宗教生活は非常に熱心です。天候の悪いときには、ミサに来る人の数が減ることもあります。しかし、彼らはどんな長い距離でも疲れを知らずに歩いてミサに来ます。もし、伝統が深く過去に根付いているとしますと、伝統は今日、共産体制に挑戦しても、維持されています。」(P. Deleclos, "Libre Belgique", 10 mai 1985)

 一言で言いますと、メデュゴリエは、クロアチアの教会が持っている公会議の前の生命力、公会議の前の聖伝への忠実さから来る生命力を、寄生虫のように利用したに過ぎません。

 更に言えば、メデュゴリエは非常に効果的なやり方で、2つの目的のために利用されています。ヘルゼゴビナの少数のフランシスコ会士は、この2つの目的のために全力を尽くして闘争しています。

 この2つの目的とは、何でしょうか。まずその1つは、教区間の軋轢に関してモスタールの司教に対する戦いです。もう1つは、ペンテコステ式のカリスマ運動を全ユーゴスラビアのみならず、全世界に広めようと言う野望です。

 ゴスパのメッセージの中には、司教の合法的決定に対する反乱の芽、カリスマ的なエキュメニスム運動による背教の芽、本当の信仰と本当の道徳また聖伝の真の神秘主義を崩壊させる芽が至る所に見られます。

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