メジュゴリエの偽聖母

カトリックの一部の者が惑わされている私的啓示「メジュゴリエの聖母」は神からのものではありません。それは公にも私にも容易に確認ができます。

17 初土曜日の信心

17 初土曜日の信心

 初土曜日の信心についても、ゴスパはこの驚く答えをなしています。時は1982年8月6日です。「ここでは私はまだそのことについて話しませんでした。私は、頻繁な告解に人々を招きました。私は現代のためにまだ幾つか具体的なメッセージをあなた達に与えるでしょう。[では、ファチマのメッセージは時代遅れの、抽象的なメッセージだったのでしょうか?]忍耐強くありなさい。時はまだ来ていません。[と言うことは、何か新しいメッセージがあるようだ]・・・私が[メデュゴリエで!]既に言ったことをしなさい。西洋にとっては、毎月の告解が薬となるでしょう。」(CCM, p179)

 私たちは、初土曜日の償いの信心こそが、ロシアの回心を勝ち取るために聖母が要求された2つのご要求のうちの一つであることを知っています。ロシアの回心のためのもう一つのご要求は、教皇様がロシアを聖母の汚れなき御心に奉献することでした。それを知っている私たちにとって、ゴスパの言い方は全く驚くべきです。しかも、メデュゴリエでの三千回以上の出現のうち、ゴスパはまだロシアを聖母も汚れなき御心に奉献することを語っていません。

 ファチマの聖母のことを全く無視するゴスパは、その反対に極めて厳しいことを要求します。残酷でさえもあります。1983年5月25日、ゴスパはヘレナとマリヤナによって作られた祈りのグループのメンバーらに「1週間に2回、パンと水で断食すること」「毎日少なくとも3時間祈りに使うこと」を求めます。しかし、彼女たちは二人とも当時11歳だった!2ヶ月後には、モスタールの司教様の反対が強くなり、ゴスパはこう言います。「・・・司教の意向で、毎週2日断食をしなさい。もし必要があれば、私は3日目を要求しに来るでしょう。」(CCM, p199)

 実際、1983年11月16日にゴスパは「司教のために1週間3日断食しなさい」と要求しました。4月24日には1日に4時間祈ることを要求しています。何故、年端もいかない子供たちに、健康な修道者がやるようなことを求めるのでしょうか?教会の異端史を見ますと、昔から、異端者は無茶な断食や、長い祈りを好んでし、またその反対に新しい教義を発明したり、道徳生活は乱れていました。

 ファチマのルチアは私たちの主からのメッセージを受けてこう言っています。イエズスの望まれる犠牲は、メデュゴリエのゴスパの要求とは正反対です。

「各自から望む犠牲は、自分の固有の義務を果たすこと、掟を守ること、これが私が要求し、私が今求める償いである。」

 シスター・ルチアは既にこう語っていました。「私たちの主は、この道を明らかに霊魂たちに知らせることをお望みです。何故なら、多くはこの「償い」という言葉に、あまりにも厳格な意味を与え、もし霊魂がこのために力も寛大さも感じないときには、力を落とし、やる気を失ってしまい、冷淡と罪にと行くがままになってしまうからです。」

 事実、ロランタン師の告白によれば、ゴスパの要求によってこのことは既に起こり始めています。(CCM, p30-31)

 ファリシー(Faricy)師は、1983年1月10日にマリヤナとヴラシッチ師とがした対談を、出版しました。この対談の内容は録音されてもいます。

 ところで、この最中に、トミスラヴ・ヴラシッチ師に「聖母は多くの人たちが現代地獄に行くと言いましたか」と尋ねられ、マリヤナはファチマの幼きヤシンタのように答えたでしょうか。

 ファチマのヤシンタは言いました。「地獄に霊魂たちが落ちないようにたくさん祈らなければなりません。あそこに落ち行く人はあんなにも多いのです。あんなにも多いのです!」と。

 更に、ファチマのシスタールチアは、或る神学生への手紙の中で、こう言いました。「現代忘れられていますので、良く思い出す必要のある真理です。それは、地獄には霊魂たちが嵐のように落ちていることです。」

 マリヤナの答えは、ファチマの牧童の答えとは全く違っていました。マリヤナはこう言います。

「私は最近ゴスパにその質問をしました。彼女は、今日ほとんどの人々は煉獄に行くと言いました。」

つまり、地獄に行く霊魂はほとんど無いと言うことです。

ヴラシッチ師「あなたは天国に行く条件は何かと尋ねましたか?」

マリヤナ「いいえ、私はその条件を尋ねませんでしたが、想像することが出来ます。つまり、天主は偉大な信心家[ソノママ]を探しているのではなく、ただ自分の信仰を遵守する人たち[マリヤナはその後直ぐにこう説明します。「自分の信仰」とは、カトリックギリシア正教イスラム、その他の信仰のことですと]、そして、悪地も不誠実さもなく平和に生きる人を求めています。」

ヴラシッチ「それはあなたの理解ですね。」

マリヤナ「はい、でもゴスパと話した後[聖母の出現をおよそ540回も受けた後に!マリヤナはこの会話の直ぐ最初でこう強調しています。「私は聖母とあれ以来今まで18ヶ月共にいます。私は彼女の非常に近くにいます。私は自分の望むことを彼女に尋ねることが出来ます。私は天国、地獄、煉獄について色々な質問をしました。云々」]で、私はこの結論に到達したと言うことが出来ます。つまり、奇跡や大いなる苦行をする必要はなく、ただ単純で平和な生活を送るだけで充分だと言うことです。」

 地獄を避けて天国を行く、と言うこの人生で最も重要な問題について、メデュゴリエの幻視者は、フリーメーソンでも答えそうなことを、どこの淫祠邪教の神主でも諸手をあげて言いそうなことを、平気で答えています。しかも、この答え方は陰険です。人を欺くものです。一体どこの誰が、奇跡をしたり、大いなる苦行をしなければならないなどと言ったでしょうか。そんなことを言ったものは誰もいないのです。このような答えによって、本当のカトリック信者が答えるべき回答を忘れさせています。つまり、もし、洗礼によって(秘蹟の洗礼、血の洗礼、或いは望みの洗礼によって)キリストの教会のメンバーになっていなかったなら、そして、成聖の聖寵の状態において死なないなら、誰一人として天国には行けない、と言う真理です。

 マリヤナの答えにはこれら全てが全くありません。マリヤナは天主教の真理を、唯一の『人類教』の教えによって掃き捨てています。誠実な人はユダヤ人でしょうと、プロテスタントでしょうと、イスラム教徒でしょうと、フリーメーソンでしょうと、マルクス・レーニン主義共産主義者でしょうと、自分の「信仰」に忠実なら、「平和に生きる」なら 安心して高枕で寝ることが出来ると教えているのです。「自分の信仰を遵守する人たち、そして、悪地も不誠実さもなく平和に生きる人」は、幸いなるかな、天国は彼らのものである、と言っているのです。

 彼らは、メデュゴリエの天国行きのフリーチケットを持っています。メデュゴリエの天国がどんなに陳腐なものかは、ヴィッカやヤコブが既にそれを見ています。

 メデュゴリエのトミスラヴ師とアグネスAgnes Heupelとは、メデュゴリエのメッセージに基づいて共同体を作っていましたが、1988年3月17日、そのグループが私的な約束を天主にしたとき、ゴスパはそのメッセージの中でこう言いました。「愛は、全地と煉獄とついには地獄さえも包み込まなければなりません!」トミスラヴは、メデュゴリエのゴスパの啓示に従って、こう説明する「実に、サタンは愛によってしか破壊されないのです。」メデュゴリエによると、地獄でさえも「愛によって包み込まれ」サタンでさえもこの愛によって「崩壊され」ると言うのです。

 昔、オリゲネスは「地獄は決定的なものではなく、地獄に落ちたものは、地獄で身のためになる罰を受けるがそれは永遠ではない。全ての人は最後には天主に赦され、天国に行く」と言う異端を唱えていました。メデュゴリエでは、昔のオリゲネスの異端の臭いがします。

 ファチマの聖母は、1917年7月13日に、もし聖母の汚れなき御心への信心を地上に確立するための要求が叶えられないときには、ロシアがその誤謬を全世界に広げ、戦争と、教会に対する迫害とを引き起こすだろうと預言しました。実にその3ヶ月後には、10月革命が起こっています。第二次世界大戦も、預言通りに起こりました。そして、戦争と迫害の後には必ず共産主義が広がりました。ファチマの聖母は私たちにこの危険を知り、それを防ぐように励まします。

 しかし、ファチマの聖母とメデュゴリエのゴスパとの間には対立があります。1981年10月のゴスパのメッセージによると、「あなた達は戦争も、悪も、天罰も考えないようにしなさい。もしあなた達が悪や、戦争や、天罰を考えますと、あなた達はそれらに会う道にいることになるのですから。あなた達の役割は、天主の平和を受け、それを生き、それを広めることです。」(CCM, p285-286)

 1983年、ヨハネ・パウロ二世教皇様が非常に真剣に、ファチマの聖母の要求に応えてロシアを汚れなき御心に奉献しようと言うことを考えていたとき、ゴスパは1983年9月16日にヘレナを通して教皇宛にメッセージを伝達しました。それによると、ゴスパは教皇にこう言っています。

「私のいろいろなメッセージの中で、私は全ての人々と、特に教皇聖下に、ここメデュゴリエで私が私の聖子から受けたメッセージを広げることを勧めます。私は、教皇に、私がそれとともにここに来た一つの言葉を委ねます。MIR平和、教皇はこれを全てのところに広げなければなりません。特別に教皇に宛てられたメッセージはこれです。彼が、キリスト教の民を自分の言葉と説教で一致させること。彼が、天主が祈りのうちに彼に息吹くとき、聖父から受けたメッセージを、特に若者の間に、広げますように。」(CCM, p195)

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