メジュゴリエの偽聖母

カトリックの一部の者が惑わされている私的啓示「メジュゴリエの聖母」は神からのものではありません。それは公にも私にも容易に確認ができます。

16 聖母の汚れなき御心に対する信心(メジュゴリエ)

16 聖母の汚れなき御心に対する信心

 ファチマでは、聖母はその秘密の中でご自分のご要求を提示されました。「天主はこの世界に、私の汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでおられます。」そして、そのために、この目的を果たすために、天主は、手段として、教皇様が五つの初土曜日の償いの信心を承認し、激励することをお望みになりました。天主は、また更に、教皇がロシアを聖母の汚れなき御心に奉献することをお望みになりました。ファチマのシスタールチアは、これらのご要求は今でも緊急になされなければならないこと、このことがかつて無く緊急であることを断言しています。しかし、ゴスパは、ファチマでの要求を全く無視しています。

 天主は、何故、聖母の汚れなき御心への信心を確立することをお望みなのでしょうか?それは、聖母が全ての聖寵の仲介者であるという真理をますます知らせ、聖母を敬わせることをお望みだからです。

 しかし、ゴスパは、この真理に矛盾することを言います。ゴスパは、汚れ無き聖母の特権とその属性を減少させ、低めさせるようなことを何度も何度もいい繰り返します。ゴスパは、ことある毎に自分の力の狭い限界のことを語ります。ゴスパはその代わりに、その他の宗教の「牧者」、カリスマ刷新運動をする「牧者」の「力」のすごさを強調します。

 例えば、「私はあなた達を癒すことが出来ません。天主のみが癒すことが出来ます。祈りなさい。私はあなた達と祈りましょう。固く信じなさい。断食をしなさい。犠牲をしなさい。私にそれが出来る範囲で、あなた達を助けましょう。天主があなた達全ての助けに来ます。私は天主ではありません。私はあなた達の祈りと犠牲が必要です。」(Svetozar Kraljevic, "Les apparitons de Medjugorije. Recit, temoignages", ed. Fayard, 1984, p86)

 1982年2月8日には、ある病気に人について、「彼は祈らねばなりません。私は私の力の範囲で彼を助けましょう。」翌日にも「全ての病人のために祈りなさい。固く信じなさい。私は、私の力の範囲で助けに来ましょう。私は、我が子イエズスに、彼らを助けて下さるように願いましょう。」(ヴィッカの第3の日記)

 1982年8月31日ゴスパは次のように宣言しました。「私は全ての聖寵を自由に使えるわけではありません[ソノママ!!!]。私は天主から、私が祈りによって得るものを受けるのです。天主は私に全く信頼しています。私は特に私に聖別された者たちを保護します。大いなる印は与えられます。それは、人々の回心の後に直ぐに現れるでしょう。」(Rene Laurentin et Rene Lejeune, "Message et pedagogie de Marie a Medjugorije, corpus chronologique des messages", (以下CCM), O.E.I.L., 1988. p181)

 1982年9月4日ヴラシッチ師はこのメッセージを記録しています。「イエズスは、ある仲介者と通すよりも、あなた達が直接に彼(イエズス)に呼びかけることをより好みます。しかし、もしあなた達が天主に全て自分を捧げたいなら、そしてもしあなた達が私がその保護者であって欲しいと望むなら、私にあなた達の意向、断食、犠牲を委ねなさい。それは、私がそれらを天主のみ旨に従って使うことが出来るようにするためです。」(CCM, pl81)

 また別の日には、ある司祭が聖母に「聖母に祈るのと、イエズスに祈るのとどちらを好みますか」ということを尋ねました。ゴスパはこう答えました。「私はあなたにお願いします。イエズスに祈りなさい。私は彼の母で、あなたのために彼に取り次ぎます。全ての祈りはイエズスに行きます。私は助け、祈りましょう。しかし、全ては私だけにかかっているのではありません。あなたの力、祈る人々の力にもかかっています。」(CCM, p.278)

 ゴスパは、こうして聖ヨハネ・ユード、聖グリニョン・ド・モンフォール、聖アルフォンソ・デ・リグオリ、聖マクシミリアノ・コルベらのマリア様の使徒が教えた教えを否定します。そして、聖母ご自身が、リュ・ド・バックやファチマに現れて教えた教え、すなわち「聖母だけが私たちを助けることが出来る」という教えを否定します。

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