メジュゴリエの偽聖母

カトリックの一部の者が惑わされている私的啓示「メジュゴリエの聖母」は神からのものではありません。それは公にも私にも容易に確認ができます。

3:7 脱魂(メジュゴリエ)

第3部メジュゴリエ・続(霊の識別:3-7)

7 脱魂

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 ブルディエの『偽りの神秘家と偽りの予言者の識別』と言う本には、感覚が無くなることは天主からの脱魂と、悪魔からのものとのどちらでも起こりうるとあります。

 重要なことは、脱魂中に彼らが見、聞き、観想したその内容です。天主からの本当の脱魂は、常に霊魂を高め、天主の崇高な玄義に関する知識を享受させます。天主からの脱魂により、霊魂は天主への愛をいや増し、特異な方法でその霊魂の美徳を増加させます。脱魂は、いわば知性にとっては光、心にとっては燃ゆる火となります。

 メジュゴリエでは、彼らの「脱魂」中には、幻視者は自分たちの見たことを語ります。しかし、天主の御母には全く相応しくない話、堪えることの出来ないほどの平凡な内容、全く幼稚な内容に私たちは、とまどいを感じます。

 ヤコブはその脱魂中に、何度も、自分のゴスパにする質問によって、あるいは、自分がゴスパに答えるその返事によって、その他の幻視者たちを笑いに導きました。

 例えばある日、ヤコブはゴスパにディナモ・チーム(ザグレブの有名なサッカー・クラブ)が今度優勝するかを聞いた。この質問の後に、脱魂中の他の幻視者たちは、いきなり大爆笑を始めました。そんな下らないことを聞いたら誰でも笑ってしまうでしょう。

 更に驚くべきことは、1982年4月3日、ヴィッカはザニッチ司教にこう話しています。この内容は録音されて保存されています。それによると、ゴスパ自身が爆笑したそうです。

「ゴスパはこの『ヘルツェゴビナ問題』について話しました。そして、彼女は爆笑しました。彼女はそれから、ご自分だけが全てを解決しただろうと付け加えました。私は一体それが何の話なのか全く分かりませんでした。それで、私は笑い始めました。するとヤコブと私はばか笑いをしたのです。人は私たちに尋ねました。『何で笑っているのか?』私たちは、ゴスパが私たちに笑えと言ったので私たちは笑っていたのだと答えます。」

 エルゼゴビナの教会を現代引き裂くこの最も悲しい紛争について、どうして幻視者たちは爆笑し、聖母自身も爆笑できたのでしょうか?

 更に、「血で汚れたハンカチ」の話があります。ザニッチ司教は1984年10月30日付のレポートで、このことを述べています。ヴィッカはこのことをブバロ師にも話しました。ヴィッカによると、メジュゴリエの近辺のあるタクシーのドライバーが道である貧しい男と会ったと言っていました。この人は、(直ぐ後で私たちは、これがイエズス様だったと知らされるのですが)血の付いた一枚のハンカチをこのドライバーにあげ、水を見たら直ぐにその中にこのハンカチを捨てるようにと頼みました。「必ずそうしろよ!」と彼は言いました。しかし、道すがら、この運転手は黒い服を着た婦人と会い、彼女はこのハンカチを下さいと言いました。「この運転手はためらいましたが、彼女は脅迫しました。そこで、彼はこの婦人にハンカチを渡します。そして、その婦人は(聖母マリア様だったそうだ!)この運転手に、もし彼女にこのハンカチを渡さなかったら、大きな不幸が起こっていたことだろう、と言いました。世の終わり、何かこのようなことが。」

 この馬鹿話を、このちょっと頭のおかしい人がする話を、カプリィナの近くのタクシーの運転手が話したこのつまらない話を、メジュゴリエの聖母は正真正銘の話だったと保証しているのです!

 ブバロ師にヴィッカはこう言います。

「誰かが私たちに、このことが本当に起こったことなのかどうかを聖母に尋ねて欲しいと私たちに願いました。」

「それで、あなた達はそれを尋ねたのですね。」

「はい。」

「聖母はなんと答えましたか。」

「ゴスパは、ことはほとんどそのように本当に起こった、と言いました。そして、その男の人は聖子で、婦人が自分自身でしたと。」(Bubalo)

 あまりにも奇天烈で、あまりにも内容が常軌を逸脱していますので、私たちは、何らのコメントをする必要も感じません。その気力さえなくなります!

 ヴィッカとヤコブがゴスパに連れられて天国、煉獄、地獄を見せられる話もあります。ブバロ師にヴィッカは話しました。場所はヤコブの家で、ヴィッカはヤコブと共にいました。ゴスパは彼らに出現します。

「ゴスパは私たちに言いました。『イエズスは賛美されさせ給え!』彼女は私たちを天国へ連れていこうと言いました。」

 天国へ連れて行かれる!二人の幻視者たちの反応はどうだったのでしょうか?嬉しさに満ちあふれたでしょうか?いや。「私たちは恐ろしかったのです。ヤコブは泣き叫び始めました[ソノママ]。彼は、お母さんには自分しかいない、僕は行けない、私[ヴィッカ]だけが行くようにと。」

「それで聖母は?」

「ゴスパは何も言いませんでした。私たちはまだ跪いていました。ゴスパは私たち二人の間に来て顔を私たちの方に向けました。ゴスパは私たちを手で取り、私たちを上に持ち上げました。」

「家の中でね?」

「そうですとも。天井を貫いて、高く。家は消えて、私たちは離れ始めました。」

「どこへ?」

「知りません。私たちは高いところに登っていたように思えます。」

「怖かったですか。」

「ねえ、考えても見て下さい。私たちはそんなことを考えている余裕もなかったのです。私たちは直ぐに天国に着きました。」

「まだ地球は見えましたか。」

「私たちが上に上がると同時にそれは消えました。」

「誰がそれが天国だと言ったのですか。」

「私に何を言って欲しいと思っているのですか。後で聖書を読みながら、聖パウロの一節を見ました。『人の目がまだ見ず、人の耳がまだ聞いたことのないもの』と。パウロは全て言っています。」

「いつ、それから何故、聖母はそれをあなたに見せたのか言って下さい。」

「さっきこれを表現する言葉がないと言ったばかりです。これは畏れるべきで、言葉になりません。全ては素晴らしい光に包まれ、人々、花々、天使たち。全ては言うことの出来ない喜びに満たされ、・・・私の心はそれを見て止まりそうでした。」

「あなたは門のことを話したとそうですが。」

「聖母とともに私たちがいたところには、門の付いている廊下のようなものがありました。この門の前には一人の人が立っていました。[別のところでヴィッカはこの人が聖ペトロであると言っている!!]聖母は全ての人が入れるわけではないと言いました。ここにも、何らかの通行証のようなものが必要です。誰も必ずこの廊下を通らなければなりません。」

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