メジュゴリエの偽聖母

カトリックの一部の者が惑わされている私的啓示「メジュゴリエの聖母」は神からのものではありません。それは公にも私にも容易に確認ができます。

メジュゴリエの偽聖母

警告!メジュゴリエの偽聖母
 
※純粋な聖母への愛ゆえに、メジュゴリエの聖母を愛しておられる、信者の皆様を責めたり、非難したり、するような目的は、一切ありません。ただ、自分たちの欲望と私腹を肥やすために、聖母の聖なる御名を利用し、神を侮辱し、信者の皆様の純粋な聖母への愛を無惨にも踏みにじっている、偽幻視者6人と数々の悪事を働き、神と教会を裏切っている、あのフランシスコ会の神父達の事実を知って下さい。(日本や他の地域のフランシスコ会は、全く関係ありません)
 
そして、一日でも早く、その偽りに気づき、メジュゴリエと言う、今世紀最大のペテンから、離れ、正しい聖母信心を歩んで下さい。教会が許可している、ルルドやファティマの聖母などを信じ、神の御母のお望みを日々、果たして下さい。
イエズスの御母であり、私達の母でもある、優しき聖母マリアに、純粋な愛ゆえにメジュゴリエの聖母を愛している人々をお捧げします。そして一日も早く、この偽りの出現から、離れるお恵みを聖母を通じて神に願います。また、聖母を利用し、侮辱し、神の代理者でもある司教様を罵り続けた人々の罪の償いと僕自身の罪の償いとして、ここに、メジュゴリエの偽聖母出現の真実の一部を公表いたします。
 
 
教会の公式見解
このメジュゴリエについて、教会は、なんと言っているのでしょうか? 
1987年に、まず、ユーゴ司教協議会会長クハリック枢機卿とザニチ司教の署名のもと、「メジュゴリエへの超自然的性格に動機付けられる巡礼、その他の表明行為を組織したりすることは、許されない」と、公式に発表されました。(オッセルヴァトーレ・ロマーノ 1987年2月23日の記事)
 
モスタル教区のザニチ司教様は、同じく1987年に、調査の結果、超自然性な物は、何もなかったと発表されました。また1990年には、メジュゴリエの事実を詳細に報告した声明も公に発表されております。
そして1991年、旧ユーゴの司教団も、同じく、この出現を否定しました。
ザニチ司教様の引退後、モスタルの教区長に任命された、ラトゥコ・ペリッチ司教様は、どうでしょうか?もちろん、彼も、強力にこの偽出現に反対しておられます。(注・ペリッチ司教・・・ここの教区長に任命される前は、ローマの教皇クロアチア神学院院長を務めてこられました)
このペリッチ司教様のお考えをご覧下さい。
 
モスタル教区の教区報「Krkva na kamena」(The Church on the Rock)の1994年2月号より。
(ペリッチ司教様のインタビューからの抜粋)
「彼(前・モスタル司教のザニチ司教様)が、行ったことは、真実を掘り起こし、偽りを暴くためでした。10年にわたる、彼の責務において、彼が最も、満足したのは、1991年、ユーゴの司教団が、「調査の結果、超自然的出現とか、啓示があるとは、考えられない」と、宣言したときのことでしょう。
これは、例外的に、明瞭な教会法的裁決であり、それは、1981年以来、聖母を、いつ、そしてどこで見たと称する者が誰であっても、それを否定するものです。司教団の裁決は、別種の裁決がない限り、私にとって権限であり、拘束力のある教えです」
 
なお、ペリッチ司教様は、1998年2月6日にも、「それ(メジュゴリエ)は超自然の現象ではないことが判明している」と宣言しておられます。
 
 
ローマの見解
1996年6月フランス・ランジュのレオン・タヴェデル司教様の質問に答えて、教理省秘書タルチジオ・ベルトーネ大司教様は、ユーゴスラヴィア司教協議会による1991年の報告を引用し、「メジュゴリエへの公的巡礼は、組織されてはなりません。そのような巡礼団は裁治権のある司教たちが決定したことに反するからです」と、公的巡礼を否定されました。
 
1996年6月19日、バチカン広報担当秘書ホアキン・ナバロ・バル氏は「教会の教えに則る健全なマリア信心」を推進する必要があると発言しています。彼が強調したのは、すでに終了した調査に従えばメジュゴリエにおける出現とか啓示に超自然的性格がないということです。メジュゴリエに巡礼する信者たちのしかるべき霊的指導はその地方を管轄する司教の仕事であり、ローマは口が酸っぱくなるほどこの件に関して管轄権があるのはモスタルの司教であると繰り返しています。
 
教理省長官ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の秘書であるチャールス・ブラウン神父は、出現に関して聖座が当該裁治権者が認めるまでは決して口出ししない、と記者たちに告げています。
その上、モスタルのラトゥコ・ペリッチ司教、前任者パヴァオ・ザニチ司教、旧ユーゴ司教協議会も、1991年にメジュゴリエで超自然的なことが何も起きていないと宣言しているので、バチカンは何らかの声明を出す必要性を認めていません。
 
教皇ラッツィンガー枢機卿が、一連の出現の真正性を認めているかのような印象を与える(ローランタン神父らの本から)引用されたものを見られた、ラッツィンガー枢機卿の手紙による、お答え。 
「私と教皇の言葉を引用したことになっている文章は、想像の産物にしか過ぎません」
1998年7月22日 教理省長官 ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿
 
 
 
従順のない所に徳はない。徳のない所に善は無い。善のない所に愛は無い。
愛の無い所に神はいない。神のいない所に天国は無い。聖ピオ神父の言葉
 
 
 
不従順の歴史と、それを擁護する偽聖母

ここの神父達の不従順は、1968年(昭和43年)に始まりました。この年、バチカンは、ここのフランシスコ会の神父達に、5つの小教区を司教側に引き渡すよう命じました。しかし、彼らは、2つだけ、引き渡しただけでした。この後、話し合いが続けられ、75年に、この件について、新たな命令がバチカンから出ましたが、今度は、公的に集団で、この命令に不服を申し立てました。
このため、罰として、ここの管区自体と管区長は、権威を奪われ、同時に、フランシスコ会の総長選挙においての投票権も奪われました。そして、ここは、総長自身により、統括されることになりました。
 
日本で発行されている、メジュゴリエ関係の本には、出現当初、2人の若い神父が、追放されると言う話が出てきます。そして、彼らの本の中では、ザニチ司教様が、罵られ、読んだ者にとっては、あたかも、聖母嫌いの合理主義者、やりたい放題のわがまま司教というイメージすら抱いてしまうほどです。
しかし、それは、本当の話でしょうか? それでは、以下に記す事実をご覧下さい。
 
ヴェゴ、プリシナ両神父に対し、彼らの長上である、(ザニチ司教からでは、無く)ローマの本部の方から、教会を教区司祭に引き渡すように、命令が出ていました。しかし、彼らは、これを拒み、そこに居座り続けました。(この命令は、ザニチ司教様の着座前から、準備されていました)
彼らが、あまりにも不従順なので、ついに、1981年4月に、フランシスコ会会長総代理、オノリウス神父より、ヴェゴ、プリシナ両神父に対し、聖職停止命令が出ました。(ザニチ司教からの命令では、ありません)
 
そして、聖霊刷新運動での、タルディ神父とシスター・ブリージ・マッケナの奇妙な予言に端を発する、この偽聖母出現が6月から始まります。
(1981年5月、ローマで開かれた、この聖霊刷新運動のセミナーに参加した、トミスラブ・ヴラシッチ神父は、タルディ神父から、聖霊からの預言???として、「恐れるにおよばない、私は、お前に御母をつかわす」そして、シスター・ブリージ・マッケナは、ヴラシッチ神父が予言者のように、群衆の真ん中に座っている姿を見た、と言う、奇妙な予言を受けた。しかし、彼は、この偉大な恵みにふさわしい人物であろうか? 実は、彼自身も、とんでもない罪を犯しており、ここでは、公表しませんが、とてもこの恵みにふさわしい人物では、ありません。それにしても、この奇妙な予言や幻視を与える、この運動の正体は、一体何者なのでしょうか?)
 
そして81年12月11日以降、ザニチ司教様は、何も命令も出していないにも関わらず、ここの偽聖母は、司教が悪い、全ての責任は、司教にあるなどと言い、両神父は、潔白だと、合計13回も、繰り返しました。おまけに、司教には、天罰が下るという脅しもありました。
1982年4月29日、ついに、教皇様の直接の指示により、フランシスコ会の総長より、両神父の追放命令が出ました。これが、あの話の事実です。ごらんの通り、司教様は、やりたい放題なんてしていません。彼らに対する命令は、全て、彼らの長上である、ローマのフランシスコ会の本部から、出ています。あれほどメジュゴリエの偽聖母に責めら、罵られた司教様のどこが悪いのでしょうか?
 
(ちなみにヴェゴ神父の書いた、祈祷書は、世界中で、この偽出現を支持する祈祷グループの間で使われておりますが、この人物の真実は、と言えば、彼は、修道女を誘惑し、妊娠させてしまったので、今は、還俗し、結婚、5人の子供に恵まれています。彼は、今、メジュゴリエセンターで働いています。こんな事を書かねばならないのは、彼個人の罪を責める為ではなく、このような神父を「潔白」だと主張した、ここの偽聖母を偽りを暴く為です)
 
なお、上記の小教区引き渡し問題は、長らく決着が付きませんでした。それで、バチカンは、フランシスコ会の総長、ビニ神父に対し、最終決定を下すよう、命じましたが、それでも決着が付きませんでした。それで、ペリッチ司教、ビニ神父の両者をバチカンに呼び、98年11月10日に、モスタル教区で働いていた全てのフランシスコ会士は、全員退去することになり、同時に諸教会は、司教に引き渡す、と言う、最終命令が出ました。また同日、フランシスコ会の総長より、バルバリッチ、ラドス両神父が、同会より、追放されていたことが発表されました。1999年2月21日付で、それらの決定事項が、正式に発表され、現在、モスタル教区では、全ての小教区が教区司祭に入れ替わっています。
 
 
心から熱心な人たちが私を誤解し、私を聖母の敵であると思い込んでいる事も知っています。
私は、何度もルルドや、その他教会が認めている御出現の場所に巡礼しております。
私がおこなっている事は真理と教会の擁護に他なりません。その為に私は命を捧げる事ができる事を神に祈っています。 (ザニチ司教様の1990年の声明より)
 

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メッセージのねつ造 (ドイツのカメラマン、ウォルター氏により撮影された)
 
          
 
1.ヴラシッチ神父とマリア・パヴロヴィッチが今日発表するための「天からのメッセージ」を書いている間、イヴァンが戸口を警戒している。 2.偽幻視者マリア・パヴロヴィッチが腰をかがめてヴラシッチ神父の「メッセージ」に何か付け加える。イヴァンはその間も戸口の警戒を続ける。 3.偽幻視者マリア・パヴロヴィッチが彼女の秘密裏の協力を撮影しているドイツ人カメラマン(Walter Furhoff氏)に気づき驚く。
 
(写真についての、より詳細な説明)
1.この写真と次の2枚の写真はドイツ人写真家ウォルター・フルホフ氏が撮影したものです。彼は1983年以来、メジュゴリエには、40回も通い詰めています。はじめは、巡礼者として、そこを訪れていましたが、いわゆるメジュゴリエの出現が本物であるどころか、金、権力、名誉目当ての大がかりで意図的な詐欺行為であることを知るようになりました。
 
摂理に導かれて、ウォルター・フルホフ氏は、フランシスコ会士のヴラシッチ神父が、「天からのメッセージ」をメジュゴリエの偽幻視者と共謀して作成していることを知るようになり、それが止めどもなく続けられる事に怒りを感じて、彼は、ある夜、彼らがこの悪事を働いている現場がカーテンはあるものの、窓越しに見える司祭館の窓枠によじ登り、これらの写真の撮影に成功しました。
 
この写真を撮影できた夜、見つかる前に彼はヴラシッチ神父と二人の「偽幻視者」が共謀している現場の写真を何枚か撮影する事に成功しました。
 
写真1は、これら陰謀の現場を押さえた3枚の写真の1枚目。ヴラシッチ神父が机に向かって何か書いていると、女性の偽幻視者マリア・パヴロヴィッチが右側に立ち、それを見ています。大金持ちになった「偽幻視者」イヴァンが背後に座って、自分たちの陰謀を邪魔しかねない侵入者を警戒しています。窓のカーテンがあるために写真には白い筋が写っています。二人の「偽幻視者たち」に見守られて、ヴラシッチ神父が「天からのメッセージ」を作成しています。
 
2.写真家ウォルター・フルホフ氏が自分の発見をザニッチ司教様に報告すると、司教様は、当然驚き、憂慮しました。これらの写真に添えるための証明書を要請しました。酔っぱらいとして知られるヤコブの叔父に投石され、イヴァンには死の脅迫を受けたフルホフ氏は傷を癒す為に、ドイツに帰国しました。司教様が後に沈黙に追い込まれたとき、これらの写真は、その他の不利な証拠と共に、適切な機会が来るまで、金庫にしまい込まれました。フルホフ氏はメジュゴリエでの詐欺行為に関する膨大なデータを他にも所有しています。
 
フルホフ氏は1998年ラッツィンガー枢機卿から、自分と教皇様がメジュゴリエに関して言ったと伝えられていることは「空想の産物」であると書かれた手紙を受け取っています。
 
写真2は、女性の「偽幻視者」マリア・パヴロヴィッチがメジュゴリエ発「その日のメッセージ」に何かを付け加え、ヴラシッチ神父は、忍耐強く彼女の挿入を書き加えています。「偽幻視者」マリア・パヴロヴィッチが、もう一つのその日の「メッセージ」を作成するヴラシッチ神父に助言しています。
 
3.マリアが、外から聞こえてきた物音に気づき、驚く。窓の外を見て、胸に手を当てる。ウォルター氏を発見したのは彼女でした。偽幻視者たちは、何も言いませんでしたが、ヴラシッチ神父と他のフランシスコ会士たちが写真家と対決しました。「貴様、何をしているのだ?」と彼は言いました。「私が何をしているかは、問題ではない。あなたたちが何をしているか?の方こそ問題ではないか? あなた達は、みんなを欺いている」
 
フルホフ氏が紙に何を書いてあるか調べるためにそれを見せるように要求すると、フランシスコ会士たちはどなりつけました。「貴様、私達が何者であると思っているのかね?嘘つきか魔術師であると思っているのか?」 ウォルターは、「なぜ、あなたたちはそんなことをするのですか? 隠すものがなければ、その紙を見せて下さいよ」
 
その夜以来、ウォルター氏とフランシスコ会士たちの関係は急速に悪化しました。彼は、後をつけられ、追い出され、尋問され、出現の時間になると教会や香部屋に接近することを禁止されました。
 
写真3は、女性の偽幻視者マリア・パヴロヴィッチが、フルホフ氏が窓枠で、たてた物音を聞きつけ、窓のカーテンを通して、彼女が「メッセージ」を受けている(つまり、ねつ造している)現場を撮影しているのを見て、胸に手を当てている所です。
「偽幻視者」マリア・パヴロヴィッチが窓枠にいる勇敢なカメラマンを見て驚く。   
 
 
1990年の声明について
ザニチ司教様の1990年の声明には、詳細に、ここでの全ての出来事が公表されております。それには、偽幻視者達の嘘や矛盾を証明する為に、内容が細かい会話にまで、及んでいるので、人によっては、疑念を抱く人もいるかも知れませんが、ザニチ司教様の所には、彼らと司教様御自身の会話を録音した、かなりの量のカセットテープ、手紙、日記、文章などの証拠が数多くあるので、この声明の内容を否定することは、不可能です。バチカンも、これらの会話を録音したテープの存在も知っています。
 
 
偽幻視者達の豪華な生活
ルルドの聖ベルナデッタやファティマのルチアなどの生活は、大変質素であり、そしてまた、教会に対しても、長上に対しても大変従順であり、謙虚でもあります。ところが、メジュゴリエの幻視者達は、どうでしょうか? 結論から言えば、丁度、彼らの生活は、聖ベルナデッタやルチアと、まるで逆の生活であるとしか、言わざるを得ません。彼らは、司教の正当な命令を無視しています。彼らは、最初から、不従順であり、司教に対しても、平気で嘘をつきます。
 
彼らの生活は、貧しいでしょうか? いいえ、これも聖ベルナデッタやルチアとは、全く、逆です。巡礼者がもたらす、莫大な金は、彼らに、外車と超豪華な大邸宅を建てることを可能にしました。もちろんこれ以外にも、莫大な金が、銀行に眠っています。
(ちなみに、ファティマのルチアは、メジュゴリエについて、何度も何度も、聖母では、ないと否定しています)
 
年毎に増加する巡礼者から、政府に次いで利益を得たのはフランシスコ会士たちです。この収入が将来、教区のものになることを見越して、フランシスコ会士たちは地元の指導的事業家たちと結託し、銀行を創立しています。銀行の理事の一人はイヴァン・セヴォ神父です。そのほか二人の創立者はトミスラフ・ペルヴァンとジョゾ・ゾウコ両神父。この二人はメジュゴリエ運動では指導的役割を果たしており、現在、この銀行に預金されている巡礼がもたらしたお金は、法律的にだれに帰属するかは、興味深い問題です。
 
 
偽聖母の支持者による、大量の宣伝が人々をだまし続ける
日本でも、ウェーン・ウィーブルやルネ・ローランタン神父の本などが出ています。しかし、彼らは、真実を語っているのでしょうか? その答えは、NOです。
ローランタン神父と言えば、世界的に有名なマリア学者です。これほど高名な神学者が書いた本、そして支持する聖母出現であれば、多くの人が、「マリア様が本当にメジュゴリエに御出現になっている」と、信じて疑わないと言う事があったとしても、いかしかたない事でしょう。
 
しかし、ローランタン神父もここのフランシスコ会の神父達同様、教会に不従順であり続けます。
オッセルヴァトーレ・ロマーノは1984年7月24日、メジュゴリエに関するいかなる文献の出版も禁止するザニチ司教様の声明の詳報を掲載しました。それにもかかわらず、すでに数冊の本が出版されました。それにしてもバチカンが司教様のこの命令を発表してから一週間後、ここの「偽聖母」は「神父たちにローランタン神父の本を読ませ、その本を広めなさい」と命じています。
 
ローランタン神父の本の最後には、数々の癒しの奇跡が報告されていますが、事実は、誰一人も癒されていません。もちろん、ルルド医局に提出された、これらの癒しの報告書は、全て、奇跡とは、認められませんでした。奇跡どころか、癒しの事実すらないのですから、認められないのも仕方がないことです。
 
ザニチ司教様は、ローランタン神父について、こう言っています。「不幸なことに、真理を隠すのはローランタン神父の立場であり続けました。彼にはメジュゴリエに関する十冊ほどの著書がありますが、真理と司教はそこで常に攻撃の対象になっています。彼は人々が聞きたがっていることが何であるかはよく心得ています。であれば、自分を信じる人たちを見つけだすのは比較的簡単であったはずです。人は「真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります」(2ティモテ4・4)」
 
 
教会の許可を必要としない聖母
1986年5月23日、ローマの教理省秘書ボヴォーネ司教は、イタリア司教協議会秘書のカポレッロ司教に、巡礼と宣伝禁止のメモを送りました。それでもフランシスコ会の神父たちと「視幻者」たちは、従おうとしません。1987年、ローマ(オッセルヴァトーレ・ロマーノ)は再度、司教の命令を掲載します。ローマの態度が厳しくなってくると、ヴラシッチ神父はついに教会認可をあきらめます。彼は次の声明をもって決定的異端に走りました。メジュゴリエでの出現に公的な認可は不必要です。聖母はメジュゴリエでの認可をお求めになりませんでした。聖母は「わたしは平和の元后です」とおっしゃったのであって、決して「わたしは教会認可を求める聖母マリアです」とはおっしゃいませんでした。
 
 
メジュゴリエを牛耳る人々
1990年の司教様の声明の中で、メジュゴリエを牛耳っている主な登場人物はF・フラニッチ大司教(現在は、引退している)、ルネ・ローランタン神父、フランシスコ会員L・ルプチック神父、イエズス会員アモース・ラストレッリ神父、その他何人かのフランシスコ会士、世界中から集まって来る聖霊刷新運動に関わる人たちです。と、宣言しておられます。
 
 
脱魂の嘘
「視幻者達」と彼らを操るフランシスコ会士たちは、常に、彼らが「脱魂状態」の間は外界と交流がないと主張していました。それで、あるフランス人ジャーナリスト(名前は、ジャン・ルイス・マーティン)がその主張を確かめるために、脱魂状態にあるはずのヴィッカの目の前にいきなり指を突き出してみたのです。何と、ヴィッカは驚いてのけぞりました。幸いなことにこれはすべて撮影されています。ヴィッカの言い訳・・・そのジャーナリストが目の前に、いきなり指を突き出したちょうどその時、ヴィッカは御子イエズスを腕に抱いた聖母マリアを見ており、御子がその腕から滑り落ちそうになったので「床に御子イエズスが落ちないように体を動かしただけ」と言ったそうだが、一体誰が、こんな馬鹿げた言い訳を信じるのであろうか?
 
 
教皇様の発言に関する嘘
ウェーン・ウィーブルの本のP316。このページのはじめには、非公式に教会は、この出現を支持するとあるが、そんな事実は、どこにもない。
そして、同ページの真ん中あたりには、教皇様との公式謁見で、12名のイタリアの司教達が、メジュゴリエについて尋ねた。と言う話が出てくる。そして、教皇様の答えとして、「なぜ、そんなことを質問するのですか。回心し、祈り、断食し、償いに励むのであれば、メジュゴリエに行かせなさい」と答えたと言う。
本当の話だろうか? 地元の司教様が、否定している、聖母出現について、教皇様が、こんな無責任な事をおっしゃるだろうか?
 
事実は、こうです。教皇大使ピオ・ラッギ大司教は、1988年3月1日、ジョセフ・E・オカノー氏に手紙を送っています。「教皇聖下と、聖座で働くその他の職員に帰せられるメジュゴリエ関連の発言が存在する。これらは、一つとして真正なものとして確認されていない…オッセルヴァトーレ・ロマーノに司教の公式見解が掲載されたこと自体、バチカンがその地方の司教たちと一致していることを物語っている」
 
教皇聖下に近いエドワード・ガンニョン枢機卿はそのような言葉が教皇聖下の口から漏れたことはないと断言なさいました。実に、1990年バチカン大使ラッギ大司教ラッツィンガー枢機卿も、オッセルヴァトーレ・ロマーノにクハリック枢機卿とザニチ司教の署名付きで掲載された声明を教会の公的立場であるとして言及なさっています。これが真実です。
 
 
実現しない預言
偽幻視者の一人、イヴァンは、1982年5月9日に、印の秘密について書きました。それには、聖母が、出現を記念して、自分の姿に似せた大聖堂が、6月にできあがると言うことが書かれていました。しかし、それは、いっこうに実現しません。彼は、「もうすぐ、もうすぐ」と言って、その預言の成就の日を引き延ばしました。ところが、驚いたことに、この約束を記述してから、3年後に、イヴァンは、預言について嘘をついたと聖母に、怒られてしまったと言っています。3年間も、ここの偽聖母は、イヴァンの嘘に気が付かなかったのでしょうか? だいたい、ここでの内戦などについても、何も警告もしてくれないのですから、イヴァンの嘘に気が付かなかったとしても、不思議では、ありません。ここの偽聖母は、嘘が得意です。
それから幻視者には、それぞれ、聖母から与えられたと言われている、いわゆる「10の秘密」と言う物がありますが、はっきり言って、あと1000年待っても、それらは、実現しないでしょう。ここの偽聖母も偽幻視者も、皆、嘘つきですから。
 
その他の偽幻視者
メジュゴリエに関連しているか、もしくは、ここへの巡礼後、聖母から、メッセージを受け始めた人達が沢山います。たとえば、テレサ・ロペス、ナンシー・ファウラー、ヴァッスーラ・ライデン、ジアンナ・ビアンキーニなどは、有名ですから、名前くらい聞いたことがあるでしょう。もちろん、彼らも偽幻視者です。彼らのメッセージも神からの物では、ないので、我々は、警戒せねばなりません。
 
メジュゴリエについては、まだ色々な事実が隠されています。ふざけたメッセージもたくさんあります。たとえば、自分は、米のニセダにも出現したとか、UFOは、存在するとか主張し、おまけに、あのニューヨークのベイサイドでの主張を繰り返しています。メジュゴリエの偽聖母のメッセージの根底にあるのは、まさに、多くのカトリック信者が警戒し、教皇御自身も警告しておられる、あの危険な思想、すなわち、ニューエイジです。もし、メジュゴリエのふざけたメッセージをこれからも受け入れるのなら、それは、洗礼も、他の秘跡も、ミサも、キリストの贖いも、全て不要な物、と言うことになります。
 
 
偽幻視者ヴァッスーラ・ライデン
先ほど、彼女の名前が出てきましたので、最後に彼女についても触れます。特にヴァッスーラは、日本でも、知られている人ですので、特に警戒して下さい。
 
(以下はFidelity 1996年2月号のブライアン・ハリソン神父様の記事からの抜粋)
私的啓示もしくは出現が本物であるか否かについて、聖座が決定を発表することは極めてまれである。現代、このような決定は以前にもまして地方教会裁治権者の手に委ねられる。ローマが今回のように介入した裏には、主に、おそらくヴァッスーラがカトリック信者でなく、勝手なことを言って混乱をもたらす非カトリック者として、どのカトリック司教の裁治権にも属さない、という理由があるのであろう。しかしこの決定は、彼女の偽りの教えが、広くカトリックの世界にどれほど司牧的困惑をもたらしているかをも示すものでもある。
 
この新しい状況から三つの興味深い質問をしたくなる。まず、ヴァッスーラ自身の反応である。「イエズス」が彼女の手を取って書かせる、というメッセージは終わるのであろうか?それともそれは挑戦的に続けられるのであろうか? 第二に、ヴァッスーラをあれほど熱狂的に支持したカトリック信者たち、特に、ルネ・ローランタン神父とマイケル・オキャロル神父のような高名なカトリック神学者たちは、どのように反応するのであろうか? 彼らは彼女を支持して何冊もの本を書いており、彼らの支持なしに彼女の今日の成功は考えられないのである。
 
最後に、そしておそらくもっとも重要なことであるが、天のメッセンジャーとして自分が話していると主張するヴァッスーラの公的非難は、さらに規模の大きいメジュゴリエ運動に関連することになるとすれば、その関連はどのようなものであろうか? 前述の神学者たちと世界に散らばるあまたのカトリック信徒を含む、高度に組織化された世界的組織であるメジュゴリエは、もう何年も前から、彼女の世界伝道旅行のお膳立ての大部分を受け持つとか、彼女が大物神秘体験家になるための過程で彼女に計り知れないほどの支持を与えるなど、ヴァッスーラとは緊密に結ばれている。
 
ヴァッスーラに関するローマのこの文書が、メジュゴリエ断罪の先駆的役割を果たすと敢えて期待していいのであろうか? これらの質問に未来がどう答えるかを待ちながら、読者にとっては、ヴァッスーラ自身のためだけでなく、彼女のメッセージを信仰箇条にしてしまったすべてのカトリック信者たちのために祈ることが大事であろう。この否定的判決を受け入れて、あまり大きな心理的損傷を被ることなく、ヴァチカンの通知によって「主が教会に託した信仰の純粋さ」に立ち返る恵みが彼らに与えられますように!
 
以下は、1995年10月6日ヴァチカンが発表した文書の日本語訳。
 
教理省からの通知
 
多くの司教、司祭、修道者、信徒は当省からギリシア正教会の信徒であって、スイスに居住するヴァッスーラ・ライデン夫人に関する権威ある判断を求めてきた。彼女は文書や講演で、世界のカトリック信徒の間に、彼女が天から来ると主張するメッセージを広めている。教理省によって「それらが本当に神からのものであるかを見るために、霊を試そうとして」(一ヨハネ四・一参照)なされた問題全体の冷静で、注意深い検討は、いくつかの肯定的要因の外に、カトリックの教義に照らしてみて、否定されねばならない種々の基本的要因を発見した。
 
これらの、いわゆる啓示があったとされる方法のおかしなあり方に加えて、そこにあるいくつかの教義的誤謬を強調する必要がある。とりわけ、三位一体のペルソナについては、神的ペルソナの特定の名前と働きが混乱してしまうほどに、曖昧である。これらのいわゆる啓示は教会内に反キリストがもうすぐ君臨すると予言する。千年至福説的スタイルで、神が最終的に栄光に満ちた介入をなさり、地上でキリストの決定的来臨の前に平和と普遍的繁栄の時代が来る、と彼女の予言は告げる。それだけではない。カトリックの教義に反して、一種の汎キリスト教的教会の到来が近いことが予言されている。
 
以上の誤謬が彼女の後期の文書にもう見られなくなったということは、彼女の言う「天からのメッセージ」が、単なる個人的黙想の結果でしかないことの印である。さらに、ライデン夫人がギリシア正教の信者であるのに、カトリック教会の秘蹟に恒常的に与ることによって、彼女はカトリック教会の各所で驚きの的になっている。それはまるで、彼女が教会内のすべての裁治権と教会法の規範を超越しているかのようで、実際、彼女が正教会の教会的規律を受け入れないので、彼女自身の教会を牧する司祭や信徒を含めて、彼女は複数の権威筋にとっていらだちの種である。
 
いくつかの肯定的側面にもかかわらず、ヴァッスーラ・ライデンの活動に関しては否定的結果があるので、当省は、信徒が適切な情報を持ち、彼女の思想が各自の教区内で普及しないように司教たちが介入するよう要請する。最後になるが、当省はすべての信徒がヴァッスーラ・ライデン夫人の文書や講演が超自然のものであると考えないように、そして主が教会に託している信仰の純粋さを保つよう招くものである。
 
 
追加:ピオ神父に関する偽りについて
1.ピオ神父の暗黒の3日間について
ピオ神父の暗黒の3日間と呼ばれている、預言が、あります。日本語にも訳されておりますが、これは、ピオ神父の預言では、ありません。(イタリアのサン・ジョヴァンニ・ロトンドの修道院の神父様方が、はっきりと否定されております。ピオ神父は、未来についての預言は、「危険」という理由で、一切残しておりません。これらのことは、ピオ神父の公式雑誌にも掲載されています)
 
2.ピオ神父が関係すると言われている聖母出現について
これについては、有名な所では、イタリアのサン・ダミアノがありますが、もちろん、これについても全て作り話です。これらの聖母出現とピオ神父は、全く関係ありません。
また、この2つの聖母出現も、当地の司教様により、超自然性がないと、否定されています。これらの偽出現にもお気をつけ下さい。

 

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第三部 結論:メジュゴリエの偽聖母

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第三部 結論:

 1990年3月上旬に、ザニッチ司教は最後にもう一度真理を宣言しようと試みました。勿論、彼はメデュゴリエの出現を否定することによって、彼に反対する多くの人がいることを良く知ってのことでした。これの最終の決定的な報告書は、極めて重要であって、私たちはこれを良く読むべきです。ザニッチ司教の報告には番号がふられており、1から29まであります。最後には、アイルランドのラジオ・テレビのキーロン・ウッドと司教との対話が注に付けられています。私たちは、これの一部を読んでみましょう。

1.ユーゴスラビアの司教協議会の委員会が、メデュゴリエの出来事についての真理を探究中である。しかし、その仕事は、ゆっくりと進んでいる。このレポートによって、私は出来る限り早く結論に至るようにと助けたいと思う。メデュゴリエに好意的なプロパガンダ[宣伝]は、ますます日増しに増えている。それは教会と世界を、既成事実の前に置こうという目的があるからである。これがメデュゴリエの弁護者たちの、最初からのねらいだった。彼らはそれに成功した、と認めなければならない。何故なら、メデュゴリエに反対する人々はあまりにもゆっくりと働きすぎるか、あるいは沈黙を守っていたからである。その為に、また、世界の多くの人々は、私のせいで真理が足踏みにされたと受け取っているので、私は、私の義務と良心とが私に命じるままに、もう一度新しいレポートを書き、委員会をこうして手助けしようと決意した。このレポートによって、メデュゴリエを擁護する人々の良心を呼び起こすことを望む。彼らの道は容易で、広く、常に下り坂である。私の道は難しく、茨だらけであり、登り道である。教会と聖母には、嘘が必要ではない。イエズスは言った。「真理はあなた達を自由にするだろう」(ヨハネ8:32)「私は道、真理、命である」(ヨハネ14:6)「私は真理を証明するために生まれこの世に来た、真理のうちにいるものは私の声を聞く」(ヨハネ18:37)と。メデュゴリエについてのいろいろな嘘を簡潔に書くために、200ページのペ-ジ数が必要だろう。今現在、私はいかなる学問的研究をなそうともせずに、この短い要約だけで満足しよう。私は、自分の名前が或る叙述の表題に載っているので、少し落ち着かない。しかし、出現の最初から、私は自分の司教としての立場、そして司教の義務から、この出来事の中心にいた。私は幾つかの「不愉快な事柄」について言及しなければならないことを残念に思う。しかし、これなくしては、議論はその力を失ってしまうだろう。しかし、私は最も不愉快な事柄については言及しないことにしよう。

2.典型的な態度:マリナ・Bと言うアトラス旅行会社の観光客のための観光ガイドが、1989年の8月に私の事務室に、或るパナマの司祭を連れてきた。彼の名はロドリゲス・テオフィロと言い、ルルドの聖母の主任司祭だった。彼とともに記者カルメン・カプリレスが来た。彼はIATA旅行会社(IATA, Avenida Alberto Navarro, POBox 1344, zone 7, Panama)の部長である。

 マリナは観光ガイド、英語の通訳、メデュゴリエによる回心者として自己紹介をした。司祭は私に、私が何故「出現」を信じないかその理由を尋ねた。私は彼に、私が信じないのは少なくとも20の理由があること、信仰について真剣に考えよく知っている人々にとってそのうち1つだけでも、それらの出現が超自然のものではないという結論に到達するのに充分であることを答えた。

 そこで私は彼に元フランシスコ会司祭、イヴィカ・ヴェゴの話をした。彼は自分の不従順のために、さらには教皇聖下の命令によって、会総長によってフランシスコ会(o.f.m.)から追放され、彼のした誓願は解かれ、聖職停止となった。彼はこの命令に従わず、ミサを捧げ続け、御聖体を配布し、愛人と時を過ごした。このことを書くのは不愉快である。しかし、聖母が誰のことについて話しているかを人々がよく見るために、どうしても書かねばならない。ヴィッカの日記と「幻視者」たちの報告によると、聖母は13回彼は無罪で司教が間違っていると言った。彼の愛人、修道女のシスター・レオポルダが妊娠すると、二人とも修道生活をやめ、自分の子供が産まれたメデュゴリエの近くで同棲を始めた。そして、メデュゴリエでは彼の祈りの本が売られ、何百万部も売られている。

 私はマリナにこれを英語に通訳して欲しいと頼んだ。真理を隠すような共同体のガイドにマリナがなったことについて、マリナを責め立てるわけにはいかない。彼女は、メデュゴリエでのやり方で、こうすぐさま答えた。「私たちは彼らにそんな酷いことを話さなければなりませんか?」私は彼女に答えた。「もしあなたがこれらの「酷いこと」を隠さずに、覆わなければ、このパナマから来た人たちはそれを早く知って、わざわざメデュゴリエまで無駄な旅行をしなくても済むでしょう。この真理を隠すのは正義に反し、罪深いことです。たとえそれが不愉快であっても、真理は語られなければなりません。」

3.マリア神学者ルネ・ロランタンも同じように振る舞っている。彼は1983年の御降誕祭の頃私に会いに来た。私は彼に夕食を招待した。彼は私に何故出現を信じないのかを尋ねた。私は彼に、ヴィッカの日記とその他の「幻視者」らの言葉によるとこの「婦人」が司教に反対して話していることを言った。ロランタンは直ぐに答えた。「このことを公にしてはいけません。何故かというと多くの巡礼者と回心者らがいるからです。」私は、有名なマリア神学者から出たこの言葉に躓いた。不幸なことに、これがいつもロランタンの立場である。すなわち、真理を隠し、偽りの擁護に立つ、これだ。彼は12冊もの本をメデュゴリエについて書き、そのほとんどの中で、真理とザニッチ司教は茂みの中に隠されている。彼は人々が聞きたがっていることが何かを良く知っている。従って、それを信じる人々を見つけるのは比較的簡単である。A veritate quidem auditum avertent, ad fabulas autem convertentur.(-彼らは真理から遠ざかり、作り話に耳を傾けるだろう。)(2ティモテ44)「幻視者」とメデュゴリエの擁護者は、ロランタンに先導され、共産国家において、初めから信者は「奇跡」に関することなら何でも、見かけ上の奇跡的な癒し、聖母のいわゆるメッセージなどを非常に早く、非常にたやすく信じることを見たのだった。

4.メデュゴリエがよって立つ主要な作者は、引退大司教ラニッチF. Franic、ロランタンR. Laurentin、ルプチッチLj. Rupcic, o.f.m.、イエズス会師アモルトAmorth、やはりイエズス会師のラストレッリRastrelli、そして世界中のフランシスコ会カリスマ運動者たちである。多くの本が早々と出版され、多くの記事、パンフレット、ビデオ、土産などが出された。その全ての後に、観光客、巡礼者、二人のフランシスコ会士ヴェゴVegoとプルシナPrusinaの書いた祈りの色々な本が来た。彼らは修道会を既に追放されており、本は色々な国の言葉に訳されて60万部が売れていた。また、人々の言うところの聖母のメッセージに息吹を受けたという狂信的な祈りのグループが来た。そしてこれらの全ての上に立つ原動力はお金だった。出現に疑問を挟むものについては誰も言及しなかった。司教は皆に警告を与えた。しかし、機械は前進するばかりだった。こうして人は50件の奇跡の癒し、そして150件の奇跡的な癒し、200、300・・・と話をしていた。ロランタンはその中から56件の書類を選び抜き、ルルドの医学調査研究所に送付した。マンガパン博士Dr. Mangapanは、1984年4月の回報に、これらの書類は全く価値がないこと、これらを使うことが出来ないこと、或いはこれらをメデュゴリエの出現のまじめな証拠として見なすことが出来ないことを述べている。ディアナ・バシレDiana Basileの癒しについて多くの人が書いている。私はこの書類をマンガパン博士に送り、この件を研究し、意見を述べてくれるように頼んだ。彼女の病気は複雑硬化症である。この件について、後にもっと詳しく本が書かれるだろう。

5.「幻視者」の信憑性:ミリヤナ・ドラギーチェヴィッチ。「出現」の1ヶ月後に、私はメデュゴリエに行って、「幻視者」たちに質問した。私は一人一人に十字架の上に手を置いて誓いを立てさせた。そして、彼らに私に真理を語るようにとお願いした。この会話とこの誓いは、録音されている。最初に対話したのはミリヤナだった。彼女は言う「私たちは、羊を探しに行くところでした、すると突然・・・」教区の助任司祭が彼女を遮り、私に「彼らは親に内緒でたばこを吸いに出かけたのです」と語った。「ミリヤナ、ちょっと待って下さい。あなたは誓いの封印の元に話しているのですよ。あなたは、羊を探しに出かけたのですか?」彼女は自分の口の前に手を当てて、「ごめんなさい、私たちはたばこを吸いに出かけました。」と言った。続いて彼女は私に「奇跡」が起こった腕時計を見せた。つまり、腕時計の針は狂ってしまったのだ。私はこの腕時計を専門家に見せると、彼はこの時計は確実に落下して、壊れてしまったのであると言った。私が彼女にこの時計を返す時、私は彼女に、これについてもはや奇跡だなどと言わないで欲しいと言った。しかし、その後の録音の中で、彼女は腕時計の奇跡がどの様にして起こったかを語った。そして彼は羊を探しに出かけていたのだと言った。その後、彼女は、聖母が全ての信仰が同じ価値を持つと言った、と報告した。私たちは、どうしてミリヤナの言うことを信じることが出来るだろうか。

6.ヴィッカ・イワンコヴィッチは、最初から主要な「幻視者」である。そして、メデュゴリエの創造者であるトミスラヴ・ヴラシッチ神父(フランシスコ会)がメデュゴリエについて主要な嘘をついたのは、このヴィッカを通してである。ヴラシッチ神父は1984年5月13日付けの手紙の中で教皇にこう自己紹介している。「私は、トミスラヴ・ヴラシッチ神父であり、天主の御摂理によって、メデュゴリエの幻視者を指導する者です。」と。彼にとって、「砂漠」に隠遁し、沈黙を守っていた方がよっぽど身のためであった。何故なら、彼の過去が自分のことを充分に語っているからである。ヴィッカは多くを語り、多くを書いた。このために、彼女は多くの矛盾したことを既に話している。ニコラ・ブラットNikola Bulat教授は、第一調査委員会のメンバーだったが、ヴィッカに尋ね、彼女について60ページからなる研究書を書いた。彼は彼女の日記の論理のなさと嘘とを明らかにした。

 私はここでは血の付いたハンカチの話しかしないことにする。或るタクシーの運転手が血にまみれた男に出会った噂が飛び交っている。この男がタクシーの運転手に血にまみれたハンカチを与え、彼に、「これを河に捨てよ」と言った。運転手は河に行き、次に黒い服を着た婦人と会った。彼女は運転手を止めて、ハンカチを求めた。運転手は自分のハンカチを出すと、彼女は「それではなく血にまみれたハンカチです」と言った。運転手は彼女が欲しがっていたものを与えると、彼女は言った。「もしあなたがこれを河に捨てていたら、世の終わりが来たことでしょう。」ヴィッカは自分の日記に中に、自分が聖母にこの話が本当であるかどうかを尋ねたことを書いている。聖母は本当だと答え、こう言い加えた。「この血にまみれた人は、私の聖子イエズスで、私(聖母)が黒い服を着た婦人だった」と。

 これは一体何の神学なのか?これから、イエズスが、もし人がハンカチを河に捨てたら、この世を崩壊することを望まれ、聖母がこの世を救ったと結論しうることになってしまう!

7.1982年1月14日、ヴィッカとマリヤと幼いヤコブは私を訪問しに来た。ヴィッカは興奮して私に話し始めた。何故ならヴィッカは嘘をついていたからである。彼女は言った。「聖母は私たちを送って、あなたに、あなたがフランシスコ会士たちに対してあまりにも厳しすぎると言えと言いました。」

ザニッチ司教「どの様にですか」

ヴィッカ「私たちは知りません」

 モスタールの二人のフランシスコ会のチャプレン(修道会付き指導司祭)、すなわち、イヴィカ・ヴェゴIvica Vegoとイワン・プルシナIvan Prusinaは、彼らの無秩序的生活と、不従順と、カテドラルの新しい主任司祭に対する信頼の欠如とのために、モスタールから離れるようにと司教に命じられた。しかし、彼らは自分の上長たちの前で、聖母がヴィッカを通して彼らに、去ってはならないと言ったので、モスタールを離れたくないと自己弁護をした。私はヴィッカに私たちのこの面会のおりに、「聖母はモスタールのチャプレンであるヴェゴとプルシナについて何か言いましたか」と尋ねた。

「いいえ、私たちはこの人たちを知りません」と、3人ともそろって答えた。

 私たちの会話は30分ほど続いた。私はそれを全て録音してある。私は何度もモスタールのチャプレンについて質問を繰り返したが、彼らはいつも「私たちはこの人たちを知りません」と答えた。その後に、私はヴィッカの日記の中で、彼らがこのチャプレンについて良く知っていることを発見した。明らかに、彼らは私の目の前で嘘をついたのである。しかし、私はこのことを彼らに言いたくはなかった。それは、私たちの会話の際に彼らの信頼を保存しておきたかったからである。

8.1982年4月3日、ヴィッカとヤコブは「聖母の使者」として私を訪問しに来た。既にモスタールのチャプレンであったヴェゴとプルシナとは、この年の1月に自分たちの長上によってフランシスコ会を追放されていた。彼らの仲間の幾人かと「聖母」は彼らを擁護に立った。私たちの会話の際に、ヴィッカはとても興奮してこう始めた。「私たちが初めてあなたと共にいたときには、私たちは全て言い尽くしたのではありません。そのために、聖母は私たちをお叱りになりました。私たちは多くのことを話しました、そしてそのために私たちは忘れてしまいました。・・・」

ザニッチ司教「何をあなた達は忘れましたか」

ヴィッカ「聖母は私たちに、このヴェゴとプルシナとのチャプレンが司祭であって、従って、その他の司祭と同じようにミサを捧げることが出来るとあなたに言えと言いました。」

ザニッチ司教「少し待って下さい。聖母はあなた達にそれをこの前私たちが会ったよりも前に言ったのですか。」

ヴィッカ「はい、そうです。ですから聖母は私たちをあなたに送ったのです。この前は別の多くのことを話して、これをあなたに言うのを忘れました。」

 この前の出会いの時に、私は既に直接に何度も聖母がこの二人のチャプレンについて何かを言ったかを尋ねてあった。ヴィッカが嘘を言っていたというのは私の目には明らかであった。そしてこの証拠だけでも彼女の言うことに対して、私の信頼を全て失わせるのに充分であった。マリヤとヤコブもこの嘘に参加した。

9.1983年1月下旬に、イエズス会のグラフェナウアーGrafenauer師が、メデュゴリエの現象について調査をする意向で私に会いに来た。彼は20本のカセットテープを聴いて、自分は聖母がメデュゴリエにいないと結論付けたので、メデュゴリエには行かないと言った。私は彼にそこに行くようにとしきりに勧め、彼は行って、数日の後にヴラシッチ師によって回心して帰ってきた。彼は幾つかの文書を持ち帰り、テーブルの上に投げ出してこう言った。「これが聖母があなたに言いたいことです。」

 私はこれが聖母の助けを借りて司教を転覆させようと言う陰謀なのだと理解した。彼が持ってきた文書というのは、ヴィッカの日記と、教区の日誌と、手書きの原稿とを寄り集めたものあった。そこで、彼らがどこから書き始めたのかを知るのが難しくなっている。ヴィッカとメデュゴリエを擁護する人たちは1年以上もこれらの文書を司教に隠していたのだった。以下にその抜粋の幾つかを挙げよう。

 1981年12月19日、聖母は、司教がヘルゼゴビナの混乱の責任があると言った。聖母はイヴィカ・ヴェゴがモスタールに留まり、そこを立ち去ってはならないとも言った。

 1982年1月3日、全ての「幻視者」らは一緒に聖母にイヴィカ・ヴェゴについて話すようにと頼んだ。聖母は答えた。「イヴィカは無罪です。たとえフランシスコ会から追放されたとしても、彼は勇気を持つように。・・・イヴィカは無罪です。」聖母は3回繰り返した。

 1982年1月11日、私たちはモスタールの二人のチャプレンについてまた質問した。聖母は、既に彼らの所で言ったことを2回繰り返した。(1982年1月14日、ヴィッカは司教とともにチャプレンの事務室に来たことがある。このときに、彼女はヴェゴを知らないと言った。)

 1982年1月20日、子供たちはイヴィカ・ヴェゴ師とイワン・プルシナ師が会を追われた今となっては何をすべきかを尋ねた。聖母は「彼らは無罪です。司教はその決定において、厳しすぎたのです。彼らは留まることが出来ます。」

 1982年4月15日、ヴィッカはこの質問を聖母にする。「イヴィカ・ヴェゴとイワン・プルシナについて何か私に言うことが出来ますか。」聖母はまず微笑んで、こういった。「彼らは無罪です。」聖母は2回繰り返した。「司教は誤りを犯しました。彼らはモスタールにとどまれます。・・・彼らは幾度かミサを捧げることが出来ます。しかし、彼らはことが落ち着くまで注意し、非常に賢明でなければなりません。彼らには過失がありません。」

 1982年4月16日、私たちが聖母と共にいたとき、私たちは聖母にヴェゴとプルシナのために「天にまします」の祈りをすることが出来るかを尋ねた。聖母は直ちに「はい、出来ます」と答え、私たちと共に祈りました。聖母が祈り終わると、微笑んで私にこう言いました。「この二人のことを私は常に考えています。」私は答えた。「あなたは正しい。」

 1982年4月26日、聖母「司教は本当に、その心の中で天主を愛していません。司教に対して、イヴィカとイワンは晴れ晴れとしていることが出来ます。今司教がしようとしていることは天主のみ旨とは反対のことです。しかし、彼は自分の好きなことが出来るでしょうが、ある日、かつて見たことがないほど、正義が明らかに表されるでしょう。」

10.ヴィッカは聖母がこれらのことを言ったことを一度も否定したことがない。そして、彼女自身がそれを自分の日記に書いたことも否定したことはない。このことが正真正銘であることを確実にするために、私たちにはグラフェナウアー師がヴィッカとマリヤナと会話の最中に録音したカセットテープがある。師はこのテープのコピーをメデュゴリエの教区教会と、司教と、ザグレブの司教協議会とに置いていった。これを聞いてみるが良い。

 ここにヴィッカとの会話の一部を載せよう。

グラフェナウアー師「司教はこれが聖母かそうではないかを判断する義務があります。」

ヴィッカ「彼は好きなように判断することが出来ます。しかし、私はこれが聖母だと知っています。」

グラフェナウアー師「教会は、自分に信頼することは、ここでのことは聖母ではない印であると言います。」

ヴィッカ「疑う人は続けて疑ったらいいでしょう。私は違います。」

グラフェナウアー師「これはよい印ではありません。あなたは一度司教に、教皇よりも聖母の言うことを聞かなければならないと言いましたね。」

ヴィッカ「はい、本当です。」

グラフェナウアー師「このことは、司教は教皇よりもあなたの言うことを、いいですかあなたの言うことを聞かなければならない、と言うことを意味します。」

ヴィッカ「いいえ、私ではありません。」

グラフェナウアー師「しかし、司教はこの現象がなんだか知らないのです。これは聖母ではないかもしれません。」

ヴィッカ「いえ、聖母です。」

グラフェナウアー師「あなたは、司教が悪く、あの二人(ヴェゴとプルシナ)が無罪であって、二人は司祭としての職務を果たすことが出来ると言いましたね。」

ヴィッカ「はい。」

グラフェナウアー師「彼らは告解を聞くことが出来ますか。聖母はそれについて話しましたか。」

ヴィッカ「はい。」

グラフェナウアー師「もし聖母がそう言って、教皇が彼らは告解を聞くことが出来ないと言ったのなら・・・」

ヴィッカ「教皇は好きなことを言うことが出来ます。私はありのままを言います。」

グラフェナウアー師「ほらね、だからこれが聖母ではないと結論できるのです。教皇が『いや、彼らはミサをしたり、告解を聞いたりすることが出来ない』と言うのに、聖母が別の所で彼らはミサも告解もできると言うのですから。これは不可能です。」

ヴィッカ「私は(聖母が言ったことが)本当だと知っています。」

グラフェナウアー師「これが本当ではあり得ません。ここで話しているのが聖母ではないと言うことについて、手を火の中に入れてもいいです。もし誰かが非常に大きな賜を受けると、この人の中で働いているのが悪魔であるという極めて大きな危険があります。」

 聖母にとって、何という酷い辱めであることか。この言葉によると、聖母が教会の権威を崩壊し、司教に対する従順とフランシスコ会の長上に対する従順と教皇に対する従順とを崩壊していることになってしまう。聖母が擁護するのはヴェゴなのだ。

20. 司教に対する讒言:彼らは言う。「司教も最初は信じていた」と。それは嘘だ。共産主義者は、フランシスコ会士、「幻視者」そして「巡礼者」らを迫害していたとき、私は彼らを全てかばった。しかし、私は「共和国の委員会の威嚇を受けて、或いは教区司祭たちがそれを私がするのを待っていたから」私は意見を変えたのでは勿論無い。それは多くの人々が勝手にでっち上げた讒言に過ぎない。私は投獄されたフランシスコ会士たちを弁護に、公に声を上げた。しかし、ヨゾ・ゾヴコJozo Zovko師は、公式調査の間に司教は「狼」であって「偽善者」であると宣言した。「狼」とか「偽善者」というのは、この審議の時に彼が使った正確な言葉である。ゾヴコの弁護士は、同僚の弁護士に、司教がかかる重い非難を受けるために司教が彼に何をしたかを求めた。

 ヴラシッチ師は、「幻視者」の口にしばしば「聖母の言葉」を与えた。例えば、「聖母の言葉」によると、サタンは、ここでは司教のことであるが、聖母の計画を破壊し尽くすように決意しているという。ヴラシッチ師はこのことについて、もっとはっきりと自分の友や、バチカンに手紙を書いた。私はこの非難をヴラシッチと師の管区長とに抗議した。彼はこれを否定しなかったが、自分を正当化しようとしてこう言った。私はこれを非常に心身の動揺しているときに書いたからだと。確かに誰でも心身の動揺しているときに何かを言うことが出来る。しかし、その時にはそれを書いたり、様々な外国語には翻訳したりしないものだ。

21. 彼らの実り:メデュゴリエを弁護する人々の最もよく使う議論は、この出来事の実りが聖母が御出現になっていることを良く証明していると言うことである。メデュゴリエにやってくる巡礼者たちよりも、メデュゴリエについてもう少し長く知っている人々は、こう言う。「メデュゴリエの熱心な弁護者が明らかにする実りは、彼ら自身が出現を信じていないと言うことを証明している。もしここで起こった全ての「ひどい話」が公にされたら、誰もが確かに否定的に考えるだろう。その為に、ロランタン、ルプチッチ、ヴラシッチ、バルバリッチ及びその他の者どもは、真理を注意深く隠している。メデュゴリエの擁護者たちがこの出現について疑心を抱く者と会うと、彼を村八分にして彼に対して非難の声を浴びせる。或いは彼が気が狂っていると宣言する。そうしてマルチンJ.-L. Martinは気が狂っているとされた。

29.メデュゴリエについてものを書いた人々は、良く本が売れて大変もうけている。不幸にして、批判精神を持って書いた人はあまり成功してはいない。何故なら、彼らは、組織されたボイコットに会うからだ。メデュゴリエの歴史を知るためには次の本を読むべきである。

Dr Ivo SIVRIC, o.f.m., La Face cachee de Medjugorje, t. I, 1988, 400p., ed. Psilog, Saint-Francois-du-Lac, Quebec, Canada, JOC 1 MO.

E. Michael JONES: Medjugorje: The untold story, Fidelity Press, 206, Marquette Ave., South Bend, IN 46617 USA, 1988, 133p.;

E. Michael JONES: Medjugorje: The untold story II, Fidelity Press, 206, Marquette Ave., South Bend, IN 46617 USA, 1989, 144p.

P. A. Gramaglia: L'equivoco di Medjugorje. Apparizioni mariane o fenomeni di medianita? ed. Claudiana, Torino, 1987, 172p.

 

+パワオ・ザニッチ司教

 

最後に

 以上はブラザー・ミシェル・ド・ラ・サント・トリニテFrere Michel de la Sainte Trintiteがソルボンヌ大学で1985年3月11日にした講演会の記録を元に、やはりブラザー・ミシェルの書いた研究書『メデュゴリエの全て』Medjugorie en Toute Verite, 1991, CRCを参照して作ったものです。メデュゴリエのことについて本当のことを良く知りたい人には、私はこの本を読むことを推薦します。

 私たちは、この研究の後に、少なくとも一つの結論を得ることができるでしょう。教会の認可しない出現の後を追い回さない、ということです。私たちは、賢明に忍耐強くありましょう。カトリック教会が認可した正真の御出現だけでも、私たちの信仰を強めるのに十分ですし、カトリックの聖伝のマリア神学だけでも、聖母について深く知るのに十分なのだからです。

 更に付け加えるなら、メデュゴリエは、ファチマの聖母のメッセージから気を逸らすものであると言えます。ファチマのメッセージが、聖伝のカトリックの教えにかなったものなら、メデュゴリエでは、エキュメニスムとカリスマ運動を解き、全く新しい別の教えを伝達しています。ファチマの聖母とメデュゴリエのゴスパには、よく調べれば調べるほど、対立があります。メデュゴリエのがスパはカトリック信仰とファチマの聖母のメッセージを、「平和」と「愛」の名の下に、隠れた方法で否定しています。私たちは、メデュゴリエのゴスパは聖母でないと確信できます。

 このことと関連して、以下に幾つかの事実のみを列記しておきましょう。知恵のある人は読んで悟るように。

 1987年9月22日、ウィリアム・カム(別名リトル・ペブル)は「聖母」からこのメッセージを受けたと主張しています。「私はメデュゴリエを100%支持します。そして、メデュゴリエの幻視者たちのために祈っています。」

 やはり、ウィリアム・カムによると、「聖母」が「私は私の愛と祝福をメデュゴリエの幻視者たちの霊的指導者、トミスラヴ(ヴラシッチ)神父に送りたいと思います。」("Highlights of Messages from Heaven" 1990, p40)と言いました。

 1987年7月3日サン・マリーノ(イタリア)でゴッビ神父は預言的な長いメッセージを受け、このメッセージは直ぐさま広められました。それによると聖母はこう断言しました。「・・・私の時は来ました。大いなる再臨の時、大天罰の時です。・・・既にこのマリア聖年の間、私がファチマで預言したこと、そして、ファチマの子供たちに私が委ねた秘密、また、私が今このとき、メデュゴリエで私が現れている人たちに与えていること、色々な大いなる出来事が成就するでしょう。」(このメッセージは1987年に配布されました。1989年のフランス語版の第13版には、メデュゴリエという言葉は、・・・・・・と、点々で書き換えられ、メデュゴリエという名は伏せられています。)

ファチマの聖母に信頼しましょう。聖マクシミリアノ・コルベのような聖母マリアの汚れなき御心への信心を持ちましょう。

「最後に、私の汚れなき御心は凱旋するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心し、世界に平和の一時期が与えられるでしょう。」(ファチマの聖母)

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18 信仰の喪失という現代最大の危機(メジュゴリエ)

18 信仰の喪失という現代最大の危機

 ファチマの聖母はその第3の秘密の中で、教会を1960年から揺さぶるであろう恐るべき信仰の危機のことについて預言します。しかし、メデュゴリエのゴスパは、この信仰の危機について全く無視し、かえって反対に、カトリックの信仰を崩壊させるべく、全ての宗教が等しいことを説教してやみません。

「メデュゴリエで告げられた印と、ファチマの第3の秘密との相似関係について尋ねられて、ヘレナはこう答えました。『そのことについては、ゴスパは私たちにこう言いました。“何も恐れないで下さい。あなたの人生の背後にあることを忘れなければなりません。私はただ、今後あなた達が新しい人であることを望むだけです。私があなた達の近くにいるとき、何も恐れてはなりません。私はあなた達を愛しています。”』」(CCM, p278)

 つまり、メデュゴリエのゴスパは、「ファチマの第3の秘密など、もう関係ない、心配するな、ファチマのことなどはとっくの昔に終わったことだ」と言うのです。ファチマの聖母がした、教会の未来についての予言、教会を襲いかかるサタンの罠、カトリック信仰の喪失についてのメッセージを忘れさせるために、しかもよりよく忘れさせるために、ゴスパは別の預言をします。

 1982年4月14日、サタンがマリヤナに現れたとき、直ぐにゴスパは現れ、こう言います。

「こんなことをして[ソノママ]ごめんなさい、でも、あなたはサタンが存在することを知らなければなりません。ある日、サタンは天主の玉座の前に出て、ある期間の間教会を試す許可を求めました。天主は、1世紀の間教会を試みる許可を与えました。今世紀は、悪魔の権能のもとにある世紀です。しかし、あなたに委ねられた秘密が実現するとき、サタンの力は壊されるでしょう。」(このことは、トマスラヴ・ヴィラシッチ師が、1983年12月2日付で教皇宛に出した手紙の中にも載せられています。ロランタンp273参照)

 このゴスパの言葉には、確かにサタンの支配ということが言われています。しかし、このメッセージを注意深く読みますと、教会とその世界がそのために苦しんでいるその原因については一言も触れられていないことが分かります。すなわち、革命的イデオロギーの誤謬と、背教の危険という2つの原因についてです。

 ゴスパが告発するのは、「悪魔は反抗的になって攻撃を開始しました。結婚を崩壊し、司祭の間に分裂を引き起こし、人々に憑き、殺人を起こさせています。」(ロランタンp274)ということだけです。本当に、それだけか?そう、ゴスパはそれだけしか語りません。

 マリヤナはヴラシッチ師との対話の中でこう聞かれています。「今日、悪魔は一体何において特に攻撃的なのですか。ゴスパはあなたに悪魔が誰によって、また何によって最も自分を表すと言ったのですか。」この質問は、悪魔にとりつかれている現代にとって非常に興味深いものです。悪魔は誤謬によって、あるいは異端によって、あるいはお金のコントロールによって自分を表すのでしょうか??? この質問に、ミリヤナはこう答えます。

「特に、バランスのとれていない人々によって、内的に分裂した人々によって、引き裂かれた人々によってです。」何というグロテスクな答えだろうか!

 ゴスパは分裂は悪魔の仕業だと言い、特に最も本質的な悪は「カトリックがあまりにもギリシア正教徒や、イスラム教徒たちから離れています。これは良くありません。・・・特に村においては、諸宗教の一致がかけています。」このことだといいます。ゴスパはここまで狂ったことを言っているのです!

 ゴスパは、最後に、ファチマの最大の希望を忘れさせています。1917年7月13日の秘密はこの希望の言葉で、この素晴らしい無条件の約束で終わっています。「最後に、私の汚れなき御心は凱旋するでしょう。教皇は私に、ロシアを奉献し、ロシアは回心するでしょう。そして、世界に平和の一時期が与えられるでしょう。」ロシアは、共産主義の誤謬から、かつての聖ウラジミールのキリスト教信仰に立ち戻るのです。その離教から、ローマへの一致に立ち戻るのです。そして、その轍に沿って、全世界を回心へと導くでしょう。そうだ、最後に、イエズスの聖心と、聖母の汚れなき御心との大いなる勝利と凱旋があるでしょう。

 メデュゴリエのゴスパによると、まず、警告があり、大奇跡があり、天罰が来るといいます。ミリヤナの預言と、ガラバンダルのコンチータの預言とでは、細部に至るまでよく似ています。この預言の起源はどうやら、スペインのパルマル・デ・トロヤの偽予言者の出現に基づいているようです。私たちはこれらのついて関わっている余裕はありません。ただ、これらの預言は、ファチマの聖母の与える希望も、大勝利の預言も全くないことを指摘しましょう。

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17 初土曜日の信心

17 初土曜日の信心

 初土曜日の信心についても、ゴスパはこの驚く答えをなしています。時は1982年8月6日です。「ここでは私はまだそのことについて話しませんでした。私は、頻繁な告解に人々を招きました。私は現代のためにまだ幾つか具体的なメッセージをあなた達に与えるでしょう。[では、ファチマのメッセージは時代遅れの、抽象的なメッセージだったのでしょうか?]忍耐強くありなさい。時はまだ来ていません。[と言うことは、何か新しいメッセージがあるようだ]・・・私が[メデュゴリエで!]既に言ったことをしなさい。西洋にとっては、毎月の告解が薬となるでしょう。」(CCM, p179)

 私たちは、初土曜日の償いの信心こそが、ロシアの回心を勝ち取るために聖母が要求された2つのご要求のうちの一つであることを知っています。ロシアの回心のためのもう一つのご要求は、教皇様がロシアを聖母の汚れなき御心に奉献することでした。それを知っている私たちにとって、ゴスパの言い方は全く驚くべきです。しかも、メデュゴリエでの三千回以上の出現のうち、ゴスパはまだロシアを聖母も汚れなき御心に奉献することを語っていません。

 ファチマの聖母のことを全く無視するゴスパは、その反対に極めて厳しいことを要求します。残酷でさえもあります。1983年5月25日、ゴスパはヘレナとマリヤナによって作られた祈りのグループのメンバーらに「1週間に2回、パンと水で断食すること」「毎日少なくとも3時間祈りに使うこと」を求めます。しかし、彼女たちは二人とも当時11歳だった!2ヶ月後には、モスタールの司教様の反対が強くなり、ゴスパはこう言います。「・・・司教の意向で、毎週2日断食をしなさい。もし必要があれば、私は3日目を要求しに来るでしょう。」(CCM, p199)

 実際、1983年11月16日にゴスパは「司教のために1週間3日断食しなさい」と要求しました。4月24日には1日に4時間祈ることを要求しています。何故、年端もいかない子供たちに、健康な修道者がやるようなことを求めるのでしょうか?教会の異端史を見ますと、昔から、異端者は無茶な断食や、長い祈りを好んでし、またその反対に新しい教義を発明したり、道徳生活は乱れていました。

 ファチマのルチアは私たちの主からのメッセージを受けてこう言っています。イエズスの望まれる犠牲は、メデュゴリエのゴスパの要求とは正反対です。

「各自から望む犠牲は、自分の固有の義務を果たすこと、掟を守ること、これが私が要求し、私が今求める償いである。」

 シスター・ルチアは既にこう語っていました。「私たちの主は、この道を明らかに霊魂たちに知らせることをお望みです。何故なら、多くはこの「償い」という言葉に、あまりにも厳格な意味を与え、もし霊魂がこのために力も寛大さも感じないときには、力を落とし、やる気を失ってしまい、冷淡と罪にと行くがままになってしまうからです。」

 事実、ロランタン師の告白によれば、ゴスパの要求によってこのことは既に起こり始めています。(CCM, p30-31)

 ファリシー(Faricy)師は、1983年1月10日にマリヤナとヴラシッチ師とがした対談を、出版しました。この対談の内容は録音されてもいます。

 ところで、この最中に、トミスラヴ・ヴラシッチ師に「聖母は多くの人たちが現代地獄に行くと言いましたか」と尋ねられ、マリヤナはファチマの幼きヤシンタのように答えたでしょうか。

 ファチマのヤシンタは言いました。「地獄に霊魂たちが落ちないようにたくさん祈らなければなりません。あそこに落ち行く人はあんなにも多いのです。あんなにも多いのです!」と。

 更に、ファチマのシスタールチアは、或る神学生への手紙の中で、こう言いました。「現代忘れられていますので、良く思い出す必要のある真理です。それは、地獄には霊魂たちが嵐のように落ちていることです。」

 マリヤナの答えは、ファチマの牧童の答えとは全く違っていました。マリヤナはこう言います。

「私は最近ゴスパにその質問をしました。彼女は、今日ほとんどの人々は煉獄に行くと言いました。」

つまり、地獄に行く霊魂はほとんど無いと言うことです。

ヴラシッチ師「あなたは天国に行く条件は何かと尋ねましたか?」

マリヤナ「いいえ、私はその条件を尋ねませんでしたが、想像することが出来ます。つまり、天主は偉大な信心家[ソノママ]を探しているのではなく、ただ自分の信仰を遵守する人たち[マリヤナはその後直ぐにこう説明します。「自分の信仰」とは、カトリックギリシア正教イスラム、その他の信仰のことですと]、そして、悪地も不誠実さもなく平和に生きる人を求めています。」

ヴラシッチ「それはあなたの理解ですね。」

マリヤナ「はい、でもゴスパと話した後[聖母の出現をおよそ540回も受けた後に!マリヤナはこの会話の直ぐ最初でこう強調しています。「私は聖母とあれ以来今まで18ヶ月共にいます。私は彼女の非常に近くにいます。私は自分の望むことを彼女に尋ねることが出来ます。私は天国、地獄、煉獄について色々な質問をしました。云々」]で、私はこの結論に到達したと言うことが出来ます。つまり、奇跡や大いなる苦行をする必要はなく、ただ単純で平和な生活を送るだけで充分だと言うことです。」

 地獄を避けて天国を行く、と言うこの人生で最も重要な問題について、メデュゴリエの幻視者は、フリーメーソンでも答えそうなことを、どこの淫祠邪教の神主でも諸手をあげて言いそうなことを、平気で答えています。しかも、この答え方は陰険です。人を欺くものです。一体どこの誰が、奇跡をしたり、大いなる苦行をしなければならないなどと言ったでしょうか。そんなことを言ったものは誰もいないのです。このような答えによって、本当のカトリック信者が答えるべき回答を忘れさせています。つまり、もし、洗礼によって(秘蹟の洗礼、血の洗礼、或いは望みの洗礼によって)キリストの教会のメンバーになっていなかったなら、そして、成聖の聖寵の状態において死なないなら、誰一人として天国には行けない、と言う真理です。

 マリヤナの答えにはこれら全てが全くありません。マリヤナは天主教の真理を、唯一の『人類教』の教えによって掃き捨てています。誠実な人はユダヤ人でしょうと、プロテスタントでしょうと、イスラム教徒でしょうと、フリーメーソンでしょうと、マルクス・レーニン主義共産主義者でしょうと、自分の「信仰」に忠実なら、「平和に生きる」なら 安心して高枕で寝ることが出来ると教えているのです。「自分の信仰を遵守する人たち、そして、悪地も不誠実さもなく平和に生きる人」は、幸いなるかな、天国は彼らのものである、と言っているのです。

 彼らは、メデュゴリエの天国行きのフリーチケットを持っています。メデュゴリエの天国がどんなに陳腐なものかは、ヴィッカやヤコブが既にそれを見ています。

 メデュゴリエのトミスラヴ師とアグネスAgnes Heupelとは、メデュゴリエのメッセージに基づいて共同体を作っていましたが、1988年3月17日、そのグループが私的な約束を天主にしたとき、ゴスパはそのメッセージの中でこう言いました。「愛は、全地と煉獄とついには地獄さえも包み込まなければなりません!」トミスラヴは、メデュゴリエのゴスパの啓示に従って、こう説明する「実に、サタンは愛によってしか破壊されないのです。」メデュゴリエによると、地獄でさえも「愛によって包み込まれ」サタンでさえもこの愛によって「崩壊され」ると言うのです。

 昔、オリゲネスは「地獄は決定的なものではなく、地獄に落ちたものは、地獄で身のためになる罰を受けるがそれは永遠ではない。全ての人は最後には天主に赦され、天国に行く」と言う異端を唱えていました。メデュゴリエでは、昔のオリゲネスの異端の臭いがします。

 ファチマの聖母は、1917年7月13日に、もし聖母の汚れなき御心への信心を地上に確立するための要求が叶えられないときには、ロシアがその誤謬を全世界に広げ、戦争と、教会に対する迫害とを引き起こすだろうと預言しました。実にその3ヶ月後には、10月革命が起こっています。第二次世界大戦も、預言通りに起こりました。そして、戦争と迫害の後には必ず共産主義が広がりました。ファチマの聖母は私たちにこの危険を知り、それを防ぐように励まします。

 しかし、ファチマの聖母とメデュゴリエのゴスパとの間には対立があります。1981年10月のゴスパのメッセージによると、「あなた達は戦争も、悪も、天罰も考えないようにしなさい。もしあなた達が悪や、戦争や、天罰を考えますと、あなた達はそれらに会う道にいることになるのですから。あなた達の役割は、天主の平和を受け、それを生き、それを広めることです。」(CCM, p285-286)

 1983年、ヨハネ・パウロ二世教皇様が非常に真剣に、ファチマの聖母の要求に応えてロシアを汚れなき御心に奉献しようと言うことを考えていたとき、ゴスパは1983年9月16日にヘレナを通して教皇宛にメッセージを伝達しました。それによると、ゴスパは教皇にこう言っています。

「私のいろいろなメッセージの中で、私は全ての人々と、特に教皇聖下に、ここメデュゴリエで私が私の聖子から受けたメッセージを広げることを勧めます。私は、教皇に、私がそれとともにここに来た一つの言葉を委ねます。MIR平和、教皇はこれを全てのところに広げなければなりません。特別に教皇に宛てられたメッセージはこれです。彼が、キリスト教の民を自分の言葉と説教で一致させること。彼が、天主が祈りのうちに彼に息吹くとき、聖父から受けたメッセージを、特に若者の間に、広げますように。」(CCM, p195)

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16 聖母の汚れなき御心に対する信心(メジュゴリエ)

16 聖母の汚れなき御心に対する信心

 ファチマでは、聖母はその秘密の中でご自分のご要求を提示されました。「天主はこの世界に、私の汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでおられます。」そして、そのために、この目的を果たすために、天主は、手段として、教皇様が五つの初土曜日の償いの信心を承認し、激励することをお望みになりました。天主は、また更に、教皇がロシアを聖母の汚れなき御心に奉献することをお望みになりました。ファチマのシスタールチアは、これらのご要求は今でも緊急になされなければならないこと、このことがかつて無く緊急であることを断言しています。しかし、ゴスパは、ファチマでの要求を全く無視しています。

 天主は、何故、聖母の汚れなき御心への信心を確立することをお望みなのでしょうか?それは、聖母が全ての聖寵の仲介者であるという真理をますます知らせ、聖母を敬わせることをお望みだからです。

 しかし、ゴスパは、この真理に矛盾することを言います。ゴスパは、汚れ無き聖母の特権とその属性を減少させ、低めさせるようなことを何度も何度もいい繰り返します。ゴスパは、ことある毎に自分の力の狭い限界のことを語ります。ゴスパはその代わりに、その他の宗教の「牧者」、カリスマ刷新運動をする「牧者」の「力」のすごさを強調します。

 例えば、「私はあなた達を癒すことが出来ません。天主のみが癒すことが出来ます。祈りなさい。私はあなた達と祈りましょう。固く信じなさい。断食をしなさい。犠牲をしなさい。私にそれが出来る範囲で、あなた達を助けましょう。天主があなた達全ての助けに来ます。私は天主ではありません。私はあなた達の祈りと犠牲が必要です。」(Svetozar Kraljevic, "Les apparitons de Medjugorije. Recit, temoignages", ed. Fayard, 1984, p86)

 1982年2月8日には、ある病気に人について、「彼は祈らねばなりません。私は私の力の範囲で彼を助けましょう。」翌日にも「全ての病人のために祈りなさい。固く信じなさい。私は、私の力の範囲で助けに来ましょう。私は、我が子イエズスに、彼らを助けて下さるように願いましょう。」(ヴィッカの第3の日記)

 1982年8月31日ゴスパは次のように宣言しました。「私は全ての聖寵を自由に使えるわけではありません[ソノママ!!!]。私は天主から、私が祈りによって得るものを受けるのです。天主は私に全く信頼しています。私は特に私に聖別された者たちを保護します。大いなる印は与えられます。それは、人々の回心の後に直ぐに現れるでしょう。」(Rene Laurentin et Rene Lejeune, "Message et pedagogie de Marie a Medjugorije, corpus chronologique des messages", (以下CCM), O.E.I.L., 1988. p181)

 1982年9月4日ヴラシッチ師はこのメッセージを記録しています。「イエズスは、ある仲介者と通すよりも、あなた達が直接に彼(イエズス)に呼びかけることをより好みます。しかし、もしあなた達が天主に全て自分を捧げたいなら、そしてもしあなた達が私がその保護者であって欲しいと望むなら、私にあなた達の意向、断食、犠牲を委ねなさい。それは、私がそれらを天主のみ旨に従って使うことが出来るようにするためです。」(CCM, pl81)

 また別の日には、ある司祭が聖母に「聖母に祈るのと、イエズスに祈るのとどちらを好みますか」ということを尋ねました。ゴスパはこう答えました。「私はあなたにお願いします。イエズスに祈りなさい。私は彼の母で、あなたのために彼に取り次ぎます。全ての祈りはイエズスに行きます。私は助け、祈りましょう。しかし、全ては私だけにかかっているのではありません。あなたの力、祈る人々の力にもかかっています。」(CCM, p.278)

 ゴスパは、こうして聖ヨハネ・ユード、聖グリニョン・ド・モンフォール、聖アルフォンソ・デ・リグオリ、聖マクシミリアノ・コルベらのマリア様の使徒が教えた教えを否定します。そして、聖母ご自身が、リュ・ド・バックやファチマに現れて教えた教え、すなわち「聖母だけが私たちを助けることが出来る」という教えを否定します。

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15 メッセージ(メジュゴリエ)

15 メッセージ

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 ゴスパのメッセージには、異端的なエキュメニスムがあります。ゴスパは宗教相対主義と宗教無差別という全く新しい教えを説きます。幻視者によって何度も何度も言われたこのテーマを、順序を追って並べてみましょう。これらの教えには、論理的なつながりがあり、幻視者らの個人的な神学の知識を明らかに超越しています。

1)唯一の天主しか存在しない。天主には分裂がない。天主は全ての人々の天主である。彼は、人を全く差別しない。

2)多くの宗教の間の違いによって出来た分裂を作ったのは天主ではなく、人々、人間たちである。この地上で、信者たちが互いに分かれ別れになって、様々な宗教を作った。天主は唯一であるから、これらの多くの宗教は人間たちの作り事でしかあり得ない。様々な宗教を作ったのは人々である。

3)この地上での分裂は、全く人間臭く、天主はその作者ではなく、天主はこれを忌み嫌う。天主の目にとっても、ゴスパの目にとっても、意味をなさない。ゴスパの口から絶えずこの表現が聞かれる。「天主にとって、天主の目には」「あなた達人間にとって、この世界にいる地上のあなた達にとって」と。言い換えると、私たちを区別し、私たちをこの地上で互いに離ればなれにする宗教の境界というのは、天主にまでは遡らない。

4)従って、「天主にとって、全ての宗教は等しく、同じようなものである」(1981年10月1日)天主は全ての宗教を全く等しい善意で考えている。天主はそれらの違いを無視する。カトリックの宗教と、ギリシア正教とについて、ゴスパはこう宣言する。「私の目と、天主の目とには、全ては等しいのです。」(1982年8月18日)天主の前において、この2つの宗教のメンバーは等しい。彼らは全て、同じ資格で、ゴスパの子供であり、天主の子供である。

5)天主は全ての宗教を、一人の王がその家臣を指導するように、様々な宗教の牧者、役員を通して指導する。

6)そのために、全ての宗教は救いの手段である。人々は自分の宗教をまじめに実践するなら、その宗教によって、どの様な宗教でも救われる。

7)カトリック信者は全ての宗教を尊敬しなければならない。これは信仰に基づいた重要な義務である。他人の宗教、あるいは他人の持つ個人的な確信を尊敬しない人は、キリスト信者ではない。他人をその信念の故に軽蔑してはならない。「イスラム教の兄弟、ギリシア正教の兄弟、あなた達を統治している無神論者を、尊敬し愛する」義務がある。「宗教の一致の欠如」というのは悪である。サタンによって作られた分裂である。それを治すようにしなければならない。(ロランタンp226参照)

 私たちはこれに答えてこう言いましょう。ゴスパはカトリックの教える真理を良く知らず、軽蔑し、踏みにじっています。

1)についてはこう言いましょう。確かに、ただ唯一の天主しか存在しません。それは、聖三位一体であって、聖父と聖子と聖霊との唯一の天主、全能の創造主、救い主、人間の最高の審判者であり、報償者、全ての人々の救いを望む天主です。

 しかし、正にこの「唯一の天主しか存在しない」、と言う真理は、唯一の真理しか存在しない、ということを意味します。いかなる矛盾も対立も許容することの出来ない唯一の啓示が存在します。真理なる天主であるイエズス・キリストがなした啓示が存在します。この唯一の天主は、人となって、自らの口から、私たちに教えを垂れました。この人となった唯一の天主は、私たち人間を救うために、真の天主について、聖三位一体の天主について教えを垂れました。道、真理、命である天主なるイエズス・キリストは、私たちに聖父と聖子と聖霊との御名によって洗礼を受けなければ救われないことを教えられました。このご自分の教えられた真理と、ご自分の立てられた7つの秘蹟が世の終わりまで続くように、唯一の真の天主を信じる真の宗教が世の終わりまで継続するように、一、聖、公、使徒継承の教会、ご自分の神秘体であり、ご自分の染みも汚れもない花嫁である教会を、聖ペトロの上に立てました。

 天主は人をだれも差別しません。何故なら、誰でも差別無くこの聖なる信仰、唯一の真の天主を礼拝し、信じるようにと招くからです。天主は、ご自分の開いた啓示を信じるように民族の区別もなく血筋の区別もなく、全ての民を、遍く招いておられます。天主は、唯一の救いの箱船であるローマ・カトリック教会から誰かを、あらかじめ、前もって排除しようなどという、偏見も差別もなさいません。

 全ての人々は、洗礼を受けることによってこの救いの箱船に入ることが出来ます。全ての人々は、差別無く、超自然の命に再び生まれ、天主の子となり、聖母マリア様の子となり、キリストの兄弟、聖霊の神殿になるようにと、招かれています。しかし、そのためには、イエズス・キリストを信じ、彼に従い、彼が、聖ペトロの上に立てた教会に入らなければなりません。

 イエズス・キリストは、「私は道、真理、命である。私を通らなければ誰も父のもとには行けない。」と言われました。しかし、ゴスパは、イエズス・キリストが唯一の道、真理、命であることを一度も言いません。ゴスパはこうして、唯一の啓示のこと、この啓示が誤ることなく教会によって私たちに仕えられていること、などについて、何も語らないと言う形で、暗黙のうちに実際的に否定しています。

2)こうして、唯一の教会によって伝えられている啓示について否定した後、ゴスパは、カトリック教会が、イエズス・キリストによって立てられ、御父によって望まれていること、カトリック教会だけが、イエズス・キリストの真の犠牲を完璧に保有すること、全ての真理を保有すること、聖霊カトリック教会を指導していること、を否定するようです。ゴスパは、カトリック教会だけによって、聖霊が働くことを否定しているようです。聖三位一体によって、カトリック教会が、全ての人々を救うべき、唯一の、必要な、不変の手段として望まれていることを、ゴスパは否定するようです。

 この地上の分裂は人々が作りました。それは確かなことです。しかし、全ての人々が同様にその罪があるのではありません。この分裂は、天主に従おうとしない人々のせいです。この分裂の原因は、唯一の完全な天主の啓示をうち捨てることをあえて選んだ異端者たち、真の天主の建てた教会であるカトリック教会に入ることを拒む人々、天主の教会に自分の利益のために逆らい、対立し、攻撃し、犯罪的に分離し、この教会の他に、この教会と対立する別の諸宗教を作る人々、これらの人々のせいです。

 しかし、ゴスパは、イエズス・キリストに忠実にとどまった人々にも分裂の罪を押しつけようとします。

3)宗教の壁が天主までは至らないと言うのは誤りです。事実はその反対です。天主御父の目にとって、天主の子羊のいとも尊き御血によって塗られた霊魂は、エジプトを脱出しようとしたイスラエルの子らのかまちに塗られた子羊の血よりも雄弁です。天主の聖子の神秘体である聖なるカトリック教会に属するほど、救いに役立つことが他にあるでしょうか。「信じて洗礼を受けるものは救われ、信じないものは滅ぼされるでしょう。」(マルコ16:15)

4)「全ての宗教は天主の目にとって等しい」と言うことほど、躓きを与え、天主を冒涜するものはありません。しかも、ゴスパは、カトリック教会と、ギリシア正教会と、イスラムを全く同等に扱っています。ゴスパによれば、カトリックであるのも、離教者であるのも等しいと言うことです。ゴスパによれば、天主三位一体を信じ、イエズス・キリストを真の天主かつ救世主と信じることと、聖子の真理を否定し、頑固にも汚すこととが等しいことと言います。キリストの建てた教会によって、天主から罪の赦しを受け、天主の命をいただくことと、いかなる聖寵を私たちに伝えることの出来ない、力のない、或る「予言者」の弟子となることとが同じことなのですか???

 ゴスパによって、天主の十戒の第一戒は、踏みにじられ、無視されています。

 もしも、全ての宗教が同じだったら、全ての宗教は、等しく、必然的に、偽りでなければなりません。そうなら、もはや天主の建てた教会はないことになるでしょう。もしそうなら、一、聖、公なる、使徒継承の、天主の建てた教会は、存在しないことになってしまいます。人となった天主の御独り子、イエズス・キリストの唯一の花嫁、汚れ無き、完璧で、聖なる教会が否定されてしまいます。すなわち、これは、「カトリック教会の存在を知りつつ、この唯一の救いの箱船に入ることを拒むものにとって、永遠の滅びしかない」と言う教会の教義を否定することです。

 更に、ゴスパの言うことは、全ての人々は、自分の宗教が、あるいは無宗教がどの様なものであれ、天主の目と、天主の御母の目にとって等しいと言うことです。しかし、天主に対立し、悪魔の側についた人々、天主を軽蔑するまで自分を愛しサタンの側につこうと決意した人々、真の教会を知りつつあくまでそれに入ることを拒み、それを攻撃する人々、彼らは、「悪魔の子ら」(ヨハネ8:42-44)であって、罪の汚れ無き聖母の子ではありません。

5)天主が全ての宗教を、等しくその「牧者」たちによって指導しているなどと言うこと自体、常軌を脱しています。ゴスパは全ての宗教の頭たちに、人間の作った全ての団体に、天主の権威を不当にも与えています。ユダヤのラビにも、イスラムの狂信的な指導者にも、チベットのラマたちにも、仏教の僧侶にも、プロテスタントの様々な分派の牧師らにも、英国聖公会の指導者たちにも、神道の神主にも、アフリカの悪魔教の指導者たちにも、オウム真理教の指導者たちにも、全ての淫祠邪教の指導者たちに、彼らはいかなる能動的な司祭職、秘蹟による司祭職を受けていないにも拘わらず、イエズス・キリストの代理者、そして、使徒たちの後継者としての高みにまで揚げるのです!

 いや、実に、このことは、同時に、唯一の正統的な真の天主の牧者たちを、罪深く卑しめることに等しいことです。キリストの「あなた達の言うことを聞く人は、私の言うことを聞く。あなた達をうち捨てる人は、私をうち捨てる、あなた達をうち捨てる人は、私を使わされた方をうち捨てる」という御言葉、また「まことに私はあなた達に言う。あなた達が地上で繋ぐものは天でも繋がれ、地上で解くものは天でも解かれる」と言う御言葉は、キリストの使徒たちの正統な後継者たちに与えられたのです。カトリック教会の正統な牧者だけが、天主の権威を与えられているのです。カトリックの正統な牧者たちだけが、天主の羊の群を牧する権能と権威を持っているのです。

6)どの様な宗教でもいいから熱心に実践すれば救われる、というのは、全く劣悪な誤謬です。もしそれが本当なら、何故使徒たちは命がけでイエズス・キリストの御名を宣教したのでしょうか。何故、聖フランシスコ・ザビエルは、今から450年前に全てを捨てて、東洋の野蛮な人々のところまで来たのでしょうか。もしも、どの様な宗教でもいいから熱心に実践すれば救われる、というのならば、アジアの人々が、自分たちの淫祠邪教に熱心に従って、淫祠邪教の教えの通り人身御供を捧げ、呪いを掛け合い、憎しみ合い、魔術を掛け合い、殺し合い、敵討ちをし合っていれば救われたのではなかったでしょうか?

 ゴスパの言葉は明らかに、汚れ無き聖母、天主の御母聖マリアの御口から発したものではありません。聖母マリアは教会の輝かしき最も素晴らしいメンバーであって、唯一の教会と分かち難く結ばれておられます。聖母は、全ての人々がこの教会のメンバーになり、ご自分の子となり、イエズス・キリストの兄弟となることを、取り次ぎ給います。聖母マリアは、イエズス・キリストの共贖者であり、天と地の元后です。その聖母マリアが、天主の真理を冒涜するようなことを話し給うはずがありません。

 ファチマでは聖母は、全ての人々がなるべく多く教会に立ち戻るように、信仰を持つように、祈りと犠牲を捧げるようにと招かれました。「かわいそうな罪人たちのために」多くの祈りと犠牲を捧げることを要求されました。ファチマの聖母に先立つ天使の出現では、子供たちに「私は御身を信じ、礼拝し、希望し、愛します。」そして、天主を「信じない人、礼拝しない人、希望しない人、愛さない人のために赦しを願います」と言う祈りを教えました。

 ファチマのメッセージの核心は明らかです。真の信仰、真の天主の礼拝、真の天主への希望、真の天主への愛です。ロシアのなした、公式な立法化された天主への挑戦、すなわち無神論を償うために、聖母はギリシア正教会の指導者には何も要求しませんでした。離教の位階制度は何をやっても聖母の目にとって、天主の目にとって、公式に天主をなだめる力を持たないからです。聖母は、彼らの代わりに「教皇カトリックの世界中の司教たちが」ロシアを聖母の汚れなき御心に奉献することを要求されたのでした。

 メデュゴリエのゴスパは、その反対に、罪にとらわれ、離教と異端にとらわれたかわいそうな霊魂たちが真の宗教に回心する恵みを勝ち取るために、償いをすることを語りません。ゴスパは、イスラム教徒や無神論者、異教徒らが、真の天主を知ることが出来るように、特別の恵みを得るように、償いをしなさいとは言いません。いや、かえってそれらの誤謬に熱心に留まれというのです!

 ゴスパはある時一人のイスラム教徒の女性に現れ、「彼女の敬虔は、全ての人々の模範である」と褒め称えるだけでした。1988年にはシヴィリッチ神父P. Sivricはこう書いています。「ギリシア正教会とイスラム教徒のかなりの人々がメデュゴリエを訪問しました。私たちの知る限り、その後にカトリック教会に入った人は一人もいません。」ゴスパによれば、この回心は必要など無いのです。ゴスパによれば、自分の宗教の中で、一人一人その宗教を深めればそれでよいのです。

7)カトリック信者には、使徒となり、宣教師となり、イエズス・キリストを知らない人々に私たちの主を知らせ、福音を知らせ、聖父と聖子と聖霊との御名によって洗礼を授けよと言う代わりに、ゴスパは、全ての宗教を尊敬せよと言います。そして、他の宗教の人々の改宗を勧めることを論外におきます。ゴスパにとって、キリスト者の第一の義務、主要な義務は、全ての宗教をカトリックと同じものとして尊敬することです。ゴスパは言います。「もしあなた達がその他の宗教、イスラム教、ギリシア正教を尊敬しなければ、あなた達は信じていません。もしあなた達がこれらの宗教を尊敬しなければ、あなた達はキリスト者ではありません。」ゴスパの言葉は、これに関しては厳しいものがあります。ゴスパの言葉が厳しければ厳しいほど、この言葉は危険であり、誤謬に満ちています。

 もしカトリック信者がイエズス・キリストを知れば知るほど、主を愛すれば愛するほど、イエズス・キリストがその御血を流して贖おうとした霊魂の救いを望むものです。イエズス・キリストが啓示し、カトリック教会が忠実にその遺産を保っている真理を愛すれば愛するほど、誤謬を忌み憎むものです。天主を愛するが為に、隣人を愛すれば愛するほど、人間の作った誤謬を忌み憎むものです。我が隣人が真理に至ることを望むものです。そして、偽りの宗教によって不幸にも闇の中にとどまる、哀れな霊魂らのために、この誤謬と、嘘と、偏見とを憎むものです。

 ゴスパの言葉、「その他の宗教を尊敬しなさい」や「諸宗教の一致が欠如している」というのは、全くフリーメーソンの汚いスローガンに他なりません。このような言葉は、サタンからのものとしか考えられません。天主からの使者は、常に真理を愛し、偽りを憎めと語りました。他の宗教を信じている人々と、他の宗教それ自体とは区別すべきです。人は憐れんでも、罪や嘘は憎まねばなりません。ゴスパは、その他の宗教それ自体を尊敬せよと言うのです。

 エリアは偽りの神バアルの司祭を、カルメル山の上で皆殺しにしました。天主の使者は、“世のはじめから人殺しであり、うそつきの父である「闇の君主」の支配”から人々を解放しようと努力します。

 天主の聖子イエズス・キリストは、ファリザイ人の偽善に対してどれ程残酷な呪いをかけたことでしょうか!初代教会の使徒たちは、教会を引き裂く異端に対して厳しく戦いました。異端を異端として排斥しました。殉教者聖イレネオから、聖フランシスコ・ザベリオ、聖ピオ十世、聖マクシミリアノ・コルベに至るまで、全ての聖なる証聖者、殉教者は、真理を愛し、偽りの憎みました。

 しかし、メデュゴリエのゴスパの態度はこれらとは全く反対です。

 もし、メデュゴリエの全ての幻視者たちが、ルルドの聖ベルナデッタのようであり、ファチマのヤシンタやフランシスコのようであったとしても、ゴスパのものとされる言葉は、明らかに悪魔からのものです。汚れ無き童貞聖母が、このようなイエズス・キリストの立てた唯一の真の宗教を破壊させるような危険な誤謬を言うはずがないからです。聖母は、信仰の砦、ご自分で全ての異端を滅ぼされた方です。この教義上の正しさは、私的啓示を判断する上で絶対のものです。

 アビラの聖テレジアはこう言っていました。「このただ一つの印だけで、悪しき霊の邪悪さが明らかにされますので、たとえ全世界がこれを天主の霊からのものだと言ったとしても、私はそれを信じません。」

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14 信者の霊魂の実り(メジュゴリエ)

14 信者の霊魂の実り

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 ファチマで起こったこととは反対に、メデュゴリエに群衆を集めたのは、ゴスパではありませんでした。カリスマ運動の聖職者たちが彼らをメデュゴリエに動員したのでした。クロアチアのようなカトリック地方は司祭の発言には権威があります。司祭が「マリア様が御出現になりました。巡礼をしなければなりません。」と言えば信者はそう従うのです。信者はそこで祈りを熱心にし、告白もするのです。しかし、これらの信者を見て、「メデュゴリエの信者は熱心だ、だから出現は本当だ」とは言えません。クロアチアの人々の心には伝統的なカトリック信仰が根付いているのです。十字架の道行き、マリア信心、御聖体の礼拝等々、彼らの心に染みわたっています。クロアチアの人々にとって、御聖体拝領と告解とは離すことが出来ないのです。クロアチアの人々を賞賛して、或る司祭はこう書いています。

「マリア様はクロアチアの元后ではないでしょうか。ここでは、全ての婦人はロザリオを手に持っていると言われます。ロザリオをミサの間も手に持って唱えている人もかなりいます。ロザリオは5月と10月には公式に唱えられます。勿論個人的にはもっと唱えられます。日常的な宗教生活は非常に熱心です。天候の悪いときには、ミサに来る人の数が減ることもあります。しかし、彼らはどんな長い距離でも疲れを知らずに歩いてミサに来ます。もし、伝統が深く過去に根付いているとしますと、伝統は今日、共産体制に挑戦しても、維持されています。」(P. Deleclos, "Libre Belgique", 10 mai 1985)

 一言で言いますと、メデュゴリエは、クロアチアの教会が持っている公会議の前の生命力、公会議の前の聖伝への忠実さから来る生命力を、寄生虫のように利用したに過ぎません。

 更に言えば、メデュゴリエは非常に効果的なやり方で、2つの目的のために利用されています。ヘルゼゴビナの少数のフランシスコ会士は、この2つの目的のために全力を尽くして闘争しています。

 この2つの目的とは、何でしょうか。まずその1つは、教区間の軋轢に関してモスタールの司教に対する戦いです。もう1つは、ペンテコステ式のカリスマ運動を全ユーゴスラビアのみならず、全世界に広めようと言う野望です。

 ゴスパのメッセージの中には、司教の合法的決定に対する反乱の芽、カリスマ的なエキュメニスム運動による背教の芽、本当の信仰と本当の道徳また聖伝の真の神秘主義を崩壊させる芽が至る所に見られます。

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