メジュゴリエの偽聖母

カトリックの一部の者が惑わされている私的啓示「メジュゴリエの聖母」は神からのものではありません。それは公にも私にも容易に確認ができます。

18 信仰の喪失という現代最大の危機(メジュゴリエ)

18 信仰の喪失という現代最大の危機

 ファチマの聖母はその第3の秘密の中で、教会を1960年から揺さぶるであろう恐るべき信仰の危機のことについて預言します。しかし、メデュゴリエのゴスパは、この信仰の危機について全く無視し、かえって反対に、カトリックの信仰を崩壊させるべく、全ての宗教が等しいことを説教してやみません。

「メデュゴリエで告げられた印と、ファチマの第3の秘密との相似関係について尋ねられて、ヘレナはこう答えました。『そのことについては、ゴスパは私たちにこう言いました。“何も恐れないで下さい。あなたの人生の背後にあることを忘れなければなりません。私はただ、今後あなた達が新しい人であることを望むだけです。私があなた達の近くにいるとき、何も恐れてはなりません。私はあなた達を愛しています。”』」(CCM, p278)

 つまり、メデュゴリエのゴスパは、「ファチマの第3の秘密など、もう関係ない、心配するな、ファチマのことなどはとっくの昔に終わったことだ」と言うのです。ファチマの聖母がした、教会の未来についての予言、教会を襲いかかるサタンの罠、カトリック信仰の喪失についてのメッセージを忘れさせるために、しかもよりよく忘れさせるために、ゴスパは別の預言をします。

 1982年4月14日、サタンがマリヤナに現れたとき、直ぐにゴスパは現れ、こう言います。

「こんなことをして[ソノママ]ごめんなさい、でも、あなたはサタンが存在することを知らなければなりません。ある日、サタンは天主の玉座の前に出て、ある期間の間教会を試す許可を求めました。天主は、1世紀の間教会を試みる許可を与えました。今世紀は、悪魔の権能のもとにある世紀です。しかし、あなたに委ねられた秘密が実現するとき、サタンの力は壊されるでしょう。」(このことは、トマスラヴ・ヴィラシッチ師が、1983年12月2日付で教皇宛に出した手紙の中にも載せられています。ロランタンp273参照)

 このゴスパの言葉には、確かにサタンの支配ということが言われています。しかし、このメッセージを注意深く読みますと、教会とその世界がそのために苦しんでいるその原因については一言も触れられていないことが分かります。すなわち、革命的イデオロギーの誤謬と、背教の危険という2つの原因についてです。

 ゴスパが告発するのは、「悪魔は反抗的になって攻撃を開始しました。結婚を崩壊し、司祭の間に分裂を引き起こし、人々に憑き、殺人を起こさせています。」(ロランタンp274)ということだけです。本当に、それだけか?そう、ゴスパはそれだけしか語りません。

 マリヤナはヴラシッチ師との対話の中でこう聞かれています。「今日、悪魔は一体何において特に攻撃的なのですか。ゴスパはあなたに悪魔が誰によって、また何によって最も自分を表すと言ったのですか。」この質問は、悪魔にとりつかれている現代にとって非常に興味深いものです。悪魔は誤謬によって、あるいは異端によって、あるいはお金のコントロールによって自分を表すのでしょうか??? この質問に、ミリヤナはこう答えます。

「特に、バランスのとれていない人々によって、内的に分裂した人々によって、引き裂かれた人々によってです。」何というグロテスクな答えだろうか!

 ゴスパは分裂は悪魔の仕業だと言い、特に最も本質的な悪は「カトリックがあまりにもギリシア正教徒や、イスラム教徒たちから離れています。これは良くありません。・・・特に村においては、諸宗教の一致がかけています。」このことだといいます。ゴスパはここまで狂ったことを言っているのです!

 ゴスパは、最後に、ファチマの最大の希望を忘れさせています。1917年7月13日の秘密はこの希望の言葉で、この素晴らしい無条件の約束で終わっています。「最後に、私の汚れなき御心は凱旋するでしょう。教皇は私に、ロシアを奉献し、ロシアは回心するでしょう。そして、世界に平和の一時期が与えられるでしょう。」ロシアは、共産主義の誤謬から、かつての聖ウラジミールのキリスト教信仰に立ち戻るのです。その離教から、ローマへの一致に立ち戻るのです。そして、その轍に沿って、全世界を回心へと導くでしょう。そうだ、最後に、イエズスの聖心と、聖母の汚れなき御心との大いなる勝利と凱旋があるでしょう。

 メデュゴリエのゴスパによると、まず、警告があり、大奇跡があり、天罰が来るといいます。ミリヤナの預言と、ガラバンダルのコンチータの預言とでは、細部に至るまでよく似ています。この預言の起源はどうやら、スペインのパルマル・デ・トロヤの偽予言者の出現に基づいているようです。私たちはこれらのついて関わっている余裕はありません。ただ、これらの預言は、ファチマの聖母の与える希望も、大勝利の預言も全くないことを指摘しましょう。

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