ファチマとメジュゴリエの比較 1:6 癒し(ファチマ)
6癒し
聖母は何度も病の癒しを下さいました。しかし、非常にしばしば、聖母は賢明に、そして堅く、まず病人のまじめな回心の意志がある印を求めになりました。
10月13日、ルチアは幾人かの病人の癒しを聖母に願いますと、聖母はこうお答えになりました。
「治る人もいますが、治らない人もいます。彼らが生活を改めて、罪の赦しを求めなければなりません。」そして、もっと悲しそうな表情で、「願わくは、人々がもうこれ以上天主、私たちの主を侮辱しないように。何故なら、主はもう既に侮辱され過ぎておりますから。」
9謙遜の雰囲気
ファチマでは、全ては全くの謙遜のうちに事態が進展しました。天主は、傲慢や虚栄心をあおるような啓示は決してなさいません。
聖母は、ファチマで、かつてないほど大きな奇跡と印をもって現れ給うた。しかし、この御出現自体については、以前の御出現を上回るものであるとか、と言うことを一言も言われませんでした。長い間ファチマは、ルルドの小さなポルトガル版であるぐらいにしか思われていませんでした。
人類は傲慢によって罪を犯しました。
天主は、私たちに謙遜の徳を教えるために、私たちが洗礼の水によって、罪の赦しを受けることを望まれます。たかが、水によって!天主は、僅かなパンの中に隠れて住み給います。天主は、私たちに模範をもって謙遜を教えられます。
10月13日には、実際、ファチマの聖母はごく僅かなことしかご要求になりませんでした。
「私はあなたたちに、人々がここに私の名誉のために、小聖堂を一つ(capelhina = a small chapel)建てることを望みます。私はロザリオの聖母です。願わくは、毎日ロザリオをいつも唱え続けるように。」
この日に、全人類がかつて体験したこともない、未聞の大奇跡を7万人が見ています。フォルミゴン神父はルチアにこう質問しました。
「聖母は各地から多くの人々がここに来るようにとお望みになると言われたのですか。」
ルチアはこう答えました。「いいえ、聖母は人々がそこに来るようにとは、誰にも命じられませんでした。」
これが天のなさるやり方です。
秘密については、幻視者たちはそれを明らかにする権限を与えられていません。彼らはこのことに関して全く口を閉ざしています。私たちは、天主様の時に、このメッセージの全容が公開され、これが一字一句実現するのを見てその重大さを知ることでしょう。