ファチマとメジュゴリエの比較 1:5 脱魂(ファチマ)
7脱魂
ファチマでは幻視者は固有の意味での脱魂をしていません。ルルドでは、この固有の意味で脱魂の現象が見られました。ルチアが聖母に語るときには、大きな声で語り、周囲にいる人々は彼女の声を聞くことが出来ました。
ファチマでは肉体上の変化は乏しいが霊魂上に生じた霊的変化には特筆すべきものがあります。
まず、天国へのあこがれです。彼らは、自分の目で無原罪の童貞女を見、全くこれに引きつけられました。その美しさに夢中になりました。彼らをある熱烈な望みが掴んではなしませんでした。天国に行く!これでした。ルチアが聖母に尋ねた最初の質問のうち、その一つはこのことでした。
『それから私も天国に行くでしょうか。』
『はい、あなたは行くでしょう。』
『それからヤシンタは?』
『ヤシンタもです。』
『それからフランシスコは?』
『フランシスコもです。でも、フランシスコはロザリオをたくさん唱えなければならないでしょう。』
6月13日、第2の御出現に時には、ルチアはフランシスコとヤシンタの名前でもう一度聖母にこう言って尋ねました。
『私はあなた様に、私たちを天国に連れていって下さるようにお願いしたいと思います。』
『はい、私はヤシンタとフランシスコを、もうすぐ天国に連れて行くでしょう。でも、ルチア、あなただけはもうしばらくここに残ることでしょう。イエズスはあなたを使って、私を知らせ、愛させるようにしたいと望んでおられます。彼は、世界に、私の汚れなき御心への信心を確立させたいと望んでおられます。』
この天国へのあこがれは、この御出現が天からのものであると言うことの、議論の余地のない証拠の一つです。この後、3人の牧童の全生涯は、この天国へのあこがれによって、深く性格付けられています。ある日、フランシスコは将来何になりたいのかと聞かれました。司祭になりたいのか、それとも何か別の職業がいいのかと。するとフランシスコは、天晴れにもこういった。
『いいえ。僕は司祭になりたくありません。』
『そうかい、じゃあ、一体何になりたいのかい。』
『僕は何にもなりたくありません!・・・僕は死んで天国に行きたいのです。』
3人が受けた神秘的な聖寵のもう一つの印は、私たちの主を傷つけ、侮辱し、苦しめる人々の罪を思い、それを悲しく思うことです。
6月と7月13日の御出現の後、フランシスコはこう言います。
『天主様はどんなだったか、ですか?説明できません。本当です、説明できません。そんなことを言える人は誰もいません。でも、天主様が、多くの罪のせいであんなにも悲しまれているというのは、つらいことです。あぁ、もし僕が天主様をお慰めすることが出来たらなぁ!』
フランシスコの今後の関心事は祈りと犠牲によって、天主様をお慰めすること、聖母をお慰めすること、これに尽きるようになります。
ヤシンタは、非常に多くの霊魂たちが地獄の火に落ちるのを見、彼らの罪を償うために全てをし、全て苦しみを堪え忍びたいと望むようになります。そして、マリアの汚れなき聖心から彼らが回心する特別のお恵みを勝ち得たいと望みます。ヤシンタは如何なる犠牲を払っても、彼らが救われることを望みます。彼らが永遠の破滅へと落ちないように!
『祈りなさい。罪人たちのためにたくさん祈り、犠牲を捧げなさい。何故なら、彼らのために犠牲をし、祈る人が誰もいないので、多くの霊魂が地獄に堕ちるからです!』
聖母は、8月19日に上のように言われ、このことが、ヤシンタの頭から離れることはありませんでした。
シスター・ルチアは、こう書いています。「地獄を見たことで、[ヤシンタは]自分のする償いや、苦行は、霊魂たちを地獄へ堕ちないようにするには不十分であるように思えるほど、恐ろしがりました。・・・彼女はしばしば地面や石の上に座って、考え込んだようになり、こう言い始めるのでした。『あぁ!地獄!地獄!地獄に落ちる霊魂たちがかわいそう!』・・・そして半分ふるえおののきながら、手を合わせて跪き、聖母がお教え下さった祈りを唱えるのでした。『ああ、イエズスよ、我らの罪を赦し給え。我らを地獄の火より守り給え。全ての霊魂、ことに、最も必要とする霊魂を天国に導き給え。』」
天国、地獄、聖母マリアの汚れなき御心の全能の仲介、これがファチマの第1の秘密です。彼らはこれを強烈に生きました。祈りと犠牲の生活、これがこの3人のその後の生活でした。