メジュゴリエの偽聖母

カトリックの一部の者が惑わされている私的啓示「メジュゴリエの聖母」は神からのものではありません。それは公にも私にも容易に確認ができます。

3:7 脱魂(メジュゴリエ)

第3部メジュゴリエ・続(霊の識別:3-7)

7 脱魂

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 ブルディエの『偽りの神秘家と偽りの予言者の識別』と言う本には、感覚が無くなることは天主からの脱魂と、悪魔からのものとのどちらでも起こりうるとあります。

 重要なことは、脱魂中に彼らが見、聞き、観想したその内容です。天主からの本当の脱魂は、常に霊魂を高め、天主の崇高な玄義に関する知識を享受させます。天主からの脱魂により、霊魂は天主への愛をいや増し、特異な方法でその霊魂の美徳を増加させます。脱魂は、いわば知性にとっては光、心にとっては燃ゆる火となります。

 メジュゴリエでは、彼らの「脱魂」中には、幻視者は自分たちの見たことを語ります。しかし、天主の御母には全く相応しくない話、堪えることの出来ないほどの平凡な内容、全く幼稚な内容に私たちは、とまどいを感じます。

 ヤコブはその脱魂中に、何度も、自分のゴスパにする質問によって、あるいは、自分がゴスパに答えるその返事によって、その他の幻視者たちを笑いに導きました。

 例えばある日、ヤコブはゴスパにディナモ・チーム(ザグレブの有名なサッカー・クラブ)が今度優勝するかを聞いた。この質問の後に、脱魂中の他の幻視者たちは、いきなり大爆笑を始めました。そんな下らないことを聞いたら誰でも笑ってしまうでしょう。

 更に驚くべきことは、1982年4月3日、ヴィッカはザニッチ司教にこう話しています。この内容は録音されて保存されています。それによると、ゴスパ自身が爆笑したそうです。

「ゴスパはこの『ヘルツェゴビナ問題』について話しました。そして、彼女は爆笑しました。彼女はそれから、ご自分だけが全てを解決しただろうと付け加えました。私は一体それが何の話なのか全く分かりませんでした。それで、私は笑い始めました。するとヤコブと私はばか笑いをしたのです。人は私たちに尋ねました。『何で笑っているのか?』私たちは、ゴスパが私たちに笑えと言ったので私たちは笑っていたのだと答えます。」

 エルゼゴビナの教会を現代引き裂くこの最も悲しい紛争について、どうして幻視者たちは爆笑し、聖母自身も爆笑できたのでしょうか?

 更に、「血で汚れたハンカチ」の話があります。ザニッチ司教は1984年10月30日付のレポートで、このことを述べています。ヴィッカはこのことをブバロ師にも話しました。ヴィッカによると、メジュゴリエの近辺のあるタクシーのドライバーが道である貧しい男と会ったと言っていました。この人は、(直ぐ後で私たちは、これがイエズス様だったと知らされるのですが)血の付いた一枚のハンカチをこのドライバーにあげ、水を見たら直ぐにその中にこのハンカチを捨てるようにと頼みました。「必ずそうしろよ!」と彼は言いました。しかし、道すがら、この運転手は黒い服を着た婦人と会い、彼女はこのハンカチを下さいと言いました。「この運転手はためらいましたが、彼女は脅迫しました。そこで、彼はこの婦人にハンカチを渡します。そして、その婦人は(聖母マリア様だったそうだ!)この運転手に、もし彼女にこのハンカチを渡さなかったら、大きな不幸が起こっていたことだろう、と言いました。世の終わり、何かこのようなことが。」

 この馬鹿話を、このちょっと頭のおかしい人がする話を、カプリィナの近くのタクシーの運転手が話したこのつまらない話を、メジュゴリエの聖母は正真正銘の話だったと保証しているのです!

 ブバロ師にヴィッカはこう言います。

「誰かが私たちに、このことが本当に起こったことなのかどうかを聖母に尋ねて欲しいと私たちに願いました。」

「それで、あなた達はそれを尋ねたのですね。」

「はい。」

「聖母はなんと答えましたか。」

「ゴスパは、ことはほとんどそのように本当に起こった、と言いました。そして、その男の人は聖子で、婦人が自分自身でしたと。」(Bubalo)

 あまりにも奇天烈で、あまりにも内容が常軌を逸脱していますので、私たちは、何らのコメントをする必要も感じません。その気力さえなくなります!

 ヴィッカとヤコブがゴスパに連れられて天国、煉獄、地獄を見せられる話もあります。ブバロ師にヴィッカは話しました。場所はヤコブの家で、ヴィッカはヤコブと共にいました。ゴスパは彼らに出現します。

「ゴスパは私たちに言いました。『イエズスは賛美されさせ給え!』彼女は私たちを天国へ連れていこうと言いました。」

 天国へ連れて行かれる!二人の幻視者たちの反応はどうだったのでしょうか?嬉しさに満ちあふれたでしょうか?いや。「私たちは恐ろしかったのです。ヤコブは泣き叫び始めました[ソノママ]。彼は、お母さんには自分しかいない、僕は行けない、私[ヴィッカ]だけが行くようにと。」

「それで聖母は?」

「ゴスパは何も言いませんでした。私たちはまだ跪いていました。ゴスパは私たち二人の間に来て顔を私たちの方に向けました。ゴスパは私たちを手で取り、私たちを上に持ち上げました。」

「家の中でね?」

「そうですとも。天井を貫いて、高く。家は消えて、私たちは離れ始めました。」

「どこへ?」

「知りません。私たちは高いところに登っていたように思えます。」

「怖かったですか。」

「ねえ、考えても見て下さい。私たちはそんなことを考えている余裕もなかったのです。私たちは直ぐに天国に着きました。」

「まだ地球は見えましたか。」

「私たちが上に上がると同時にそれは消えました。」

「誰がそれが天国だと言ったのですか。」

「私に何を言って欲しいと思っているのですか。後で聖書を読みながら、聖パウロの一節を見ました。『人の目がまだ見ず、人の耳がまだ聞いたことのないもの』と。パウロは全て言っています。」

「いつ、それから何故、聖母はそれをあなたに見せたのか言って下さい。」

「さっきこれを表現する言葉がないと言ったばかりです。これは畏れるべきで、言葉になりません。全ては素晴らしい光に包まれ、人々、花々、天使たち。全ては言うことの出来ない喜びに満たされ、・・・私の心はそれを見て止まりそうでした。」

「あなたは門のことを話したとそうですが。」

「聖母とともに私たちがいたところには、門の付いている廊下のようなものがありました。この門の前には一人の人が立っていました。[別のところでヴィッカはこの人が聖ペトロであると言っている!!]聖母は全ての人が入れるわけではないと言いました。ここにも、何らかの通行証のようなものが必要です。誰も必ずこの廊下を通らなければなりません。」

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3:6 出現に対する聖職者の態度(メジュゴリエ)

第3部メジュゴリエ・続(霊の識別:3-6)

6 出現に対する聖職者の態度

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 メデュゴリエの主任司祭であったヨゾ・ゾブコJozo Zovko神父は、カリスマ運動の活動的なメンバーの一人でした。彼はあまりにも早く、そして少しあまりにも近くで出現と関わっていると非難を受けました。このような疑問は全く当然のものでした。しかし、彼の嫌疑を晴らすために、やはりカリスマ運動の一員であった、クラリェビッチ師は「その当時は、彼は教区に着任したばかりで、自分の教区信者を知る機会がまだ無かった」と書いています。ロランタン師も疑いを晴らそうと「ゾブコ修道士は、最初の出現の幾日か前に主任司祭として任命を受け、まだ教区のことを良く知りませんでした。そして全ての子供たちを知らなかった」と言います。

 ロランタン師の言う「幾日か前」とは、一体何日のことでしょうか?クラリェビッチ師の言う「教区に到着したばかり」とは、到着して、1週間の後のことでしょうか。それとも、2週間のことでしょうか。1ヶ月でしょうか?いいや、違う!ゾブコ師はメデュゴリエの主任司祭となって、既に9ヶ月を経ていたのだ!ロランタン師も、クラリェビッチ師もこれを隠すのです。

 将来幻視者となるべき青年たちは、実はその年、別の司祭の元で「宗教教育」を受けていました。ロランタン師はこのようなことを注意深く隠します。何故、ロランタン師はヴラシッチ師が幻視者たちの元でほとんど直接に働きかけていた役割を隠し、私たちを騙そうとするのでしょうか?このカリスマ運動をしているフランシスコ会士、ヴラシッチ師は、既に出現のまえから彼らを知っていたではないでしょうか?私たちはそのことを既に良く知っています。何故、彼が「ずっと後になって」メデュゴリエに到着したと信じ込ませようとするのでしょうか。

 ゾブコ師は、既に4日目に幻視者たちにゴスパが何か教区のフランシスコ会士たちのためのメッセージがないかと尋ねさせています。既に、7月2日には、ゾブコ師の要求で、ヴィッカとヤコブは教区の教会の中で「出現」の話をしています。そして、ゾブコ師は既に信者たちにこの出現が超自然のものであることを保証しています。教会の全歴史の中で、聖職者が出現についてこれ程まであわてて好意的になったというのは見たことがありません。これはよい印ではありません。

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3:5 出現の言葉遣い、態度(メジュゴリエ)

第3部メジュゴリエ・続(霊の識別:3-5)

5 出現の言葉遣い、態度

 

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 ファチマでは、御出現の言葉、態度、身の振る舞いなどには、尊厳、天的な天主からのものであるという威厳がありました。ところがメデュゴリエでの出現では、ゴスパの態度は私たちを躓かせるものであって、私たちはこれにショックを受けます。

 第2の出現は、6月25日でした。「イワンカと私とミリヤナとは、最初の日にゴスパを見たところに同じ時間に行こうと決め合っていました。もしあれが本当にゴスパだったら、もしかしたらゴスパはまたやってくるでしょう。」(Bubalo)

 しかし、第1の出現は全く沈黙のうちになされ、どうしてもしそれがゴスパだったらまたやって来ると信じていたのでしょうか、奇妙です。翌々日、すなわち1981年の6月27日には、クヴァロ師に、ヴィッカはこう答えています。彼らの周りにいた人々は皆ルルドの御出現では聖母が18回来られたことを話していた、と。実際ミリヤナはルルドの本を読んでいました。

 ヴィッカがブバロ師に話すところによると、「ほとんど同じ時刻に、私たちは石だらけの道を歩き、最初の出現があったあの高いところを見ていました。突然、光が輝き、ゴスパがそこにいました。」

 最初に見たのはイワンカでした。次にミリヤナとヴィッカが見ました。マリヤと、マリヤの従兄弟で10歳になるヤコブもすぐに来ました。

 ヤコブはルプチッチ神父にこう言っています。「僕たちはマリヤの家で仕事をしていました。すると、ヴィッカが走ってきて、『ほらあそこにいるわ』と言いました。すぐに僕たちは丘の方に走って出かけ、そこでお祈りをし、涙を流して泣きました。」(ロランタンP102)

 ヴィッカによると、「私たちは丁度空中に引き寄せられているかのようでした。私は怖かった。私も裸足でしたが、足は茨で全く傷を受けませんでした。・・・私たちがだいたいゴスパから2メートルぐらいのところに近づくと、私たちは跪かなければならない感じを受けました。ヤコブは茨だらけの茂みのようなところで跪きました。私は、あの子は傷だらけになると思っていましたが、何の傷も負わずに出てきました。」

 これは、少し大げさだったようです。と言うのも翌々日の質問で、イワンカは彼女たちが勿論、傷を受けて血を出したと答えているからです。但し、その時には誰もそのことに気がつかなかったといいます。

 ゾブコ師が翌々日に質問したところによると、ヴィッカがブバロ師に話したよりも、本当はもう少し大変だったようです。村の人々もヴィッカのあとを着いてきており、ヴィッカはゴスパが見つけられずに、道をすぐ迷ってしまいました。後ろの人たちは、彼女たちに『左に!左に!』と叫びました。村の人たちには何かが見えていたようでした。しかし、何かに不思議に導かれたように、彼女たちは真っ直ぐに進み、同じところに止まります。

 ヴィッカがブバロ師に答えるところによると、ゴスパと話をする前に、「ミリヤナとイワンカは気絶をしました。でもこれはほんの少しだけのことでした。・・・私たちは、気が動転し、怖くもありました。ゴスパの前でまっすぐ立っているのは楽ではありません。でも、私たちは膝をついて祈り始めました。・・・きっと、天にましますとめでたしと栄唱だったでしょう。」(しかし、ロランタン師はその本の中で、ヴィッカがヴラシッチ師とブバロ師にした宣言を忠実に一つずつ従おうとせずに、ヴィッカが「怖かった。私たちは恐ろしかった。」と言っている2カ所を省略し、その反対に、「彼らの恐れは消え去った」と書いている!)

 ミリヤナもその後に、ルプチッチ師に「私はとっても怖かった。私たち女の子は皆気絶しました」と説明しています。(これはロランタン師の本にも載っています。p104)

 ミリヤナは最初の質問をします。彼女の母はその前の月に病院でなくなっていました。ミリヤナは母のことを知りたくてゴスパに聞きます。ゴスパは短く「あなたのお母さんは元気です」とだけ答えました。その後のいろいろな本ではこの後にいろいろな言葉が続いたことになっていますが、出現の翌々日にミリヤナのした証言によれば、ゴスパはこれしか言いませんでした。

 ヴィッカはこう言います。「私たちはゴスパに触っていました。私たちがゴスパに抱きついたりしますと、ゴスパは笑っていました。」

 彼女たちの証言は、厳と存在しています。ミリヤナとイワンカは、興奮し恐れ失神したにも拘わらず、幻視者らはゴスパに馴れ馴れしく近づきベタベタと触るのでした。彼女たちがゴスパを撫で回したことの証言は公に録音されています。ロランタン師はメデュゴリエについて十数冊本を書きますが、『メジュゴルイエにおける聖母マリアの出現』1984年で、ただ一回だけそのことに触れます。

「質問:マリア様に触りましたか?

マリヤ:私はマリア様のドレスに触りました。触るときはいつも手のひら全体で触りました。他の人も大勢触っていました。

ヤコブ:はい、僕はドレスに触りました。

ヴィッカ:はい私はドレスに触りました。けれど、金属のような抵抗感がありました。それはこういう意味なんです。マリア様が手とか頭を動かされると、ドレスも動きます。それは普通の場合と全く同じです。でも触ったら、まるで金属のようにびくともしないのです。

イワンカ:はい。

ミリヤナ:私は触ることが出来ます。・・・はじめは何か近づきにくいもののように眺めていました。が、今は、マリア様が一緒にいて下さるときは、私はお母様のように、または私を助けてくれる最良の友人のように見つめます。

イワン:僕はドレスに触りました。」(P108-109)

 しかしロランタン師は、メデュゴリエを扱ったその他の15冊の本の中では一語もそれに触れようとしません。或る本の中では、ロランタン師は、幻視者のいかなる証言にも基づかずに、彼女たちがゴスパをさわったり抱きついたりしたことを否定しています。Medjudorie, recit et message des apparitions, editions de l'O.E.I.L., 1986, p19、また、このことを取り扱った場合にしても、ロランタン師はこれについてゴスパが笑ったことや、何度も触れられたことを省略し、事実を隠そうとしています。またその他の著者のいろいろな本でも、これについては沈黙が守られています。

 ヴィッカはゴスパに不平を漏らします。「ゴスパ様、人々は私たちを信じません。私たちが家に帰りますと、皆私たちが狂っていると言うでしょう。」ゴスパは微笑むだけでした。

 そこで、ヴィッカはミリヤナに今何時?と尋ねています。

 第2の出現のこのことについて、ヴィッカはブバロ師にこう語ります。

「ミリヤナは、人が私たちについていい加減なことを言わないように、聖母に私たちに印を残すように頼みました。・・・そしてミリヤナの時計の針が回ったのです。」

 これが、何のことを意味しているかは説明を要します。別のところで、ヴィッカはもっと詳しく説明します。「私はミリヤナに『今何時?』と聞くと『3時15分よ』と答えました。『あんた何言ってるのよ、3時15分だなんて。時計を反対に付けてるの?』

 Kraljevic神父によると、時計の9の字が12に変わっていたといいます。ロランタン師によると、時計の小さい方の針が文字盤を4分の1回っていたのだそうです。ともあれ、これが幻視者にとっての奇跡的な「印」だった!・・・一体これが何を印そうとしているのでしょうか、私たちは理解に苦しみます。

 勿論、メデュゴリエを擁護する人はこのことに口をつぐんで、説明を拒みます。ロランタン師は、長い間このことを語ろうとしませんでした。この6月25日の出現はこうして終わり、ゴスパは翌日も来ると約束して消えました。

 出現の翌々日にされた質問で、マリヤはこう答えています。彼女の両親は、彼女が出現の後に家に帰ってもいませんでした。「ずっと後に、両親が夕食を出してくれると、彼らは私に食べるかどうかを聞きました。私は恐ろしかった。私はとても食べることの出来る状態ではなかったのです。私の手は真っ白でした。私が初めてゴスパを見たときに、輪たちの両手は冷たくなっていました。丁度氷のようでした。」

 1983年の6月25日の大巡礼の後で、トミスラヴ・ヴラシッチTomislav Vlasic師にこう質問がありました。どのくらいの巡礼者が来たのでしょうか?と。「幻視者たちはゴスパに正確な数を聞きました。ゴスパは100万人だと答えました!」と師は答えています。しかし、何故そのような突拍子もないことをゴスパに聞かなければならなかったのでしょうか?

 最初の出現から第4日には、幻視者は、ゴスパが、人々がゴスパのベールを踏みつけるので消えてしまったと証言しています。

 ブバロ師はこのことについてヴィッカに尋ねました。

「この日には、人々がゴスパを踏みつけたそうですが。」

「いいえ、聖母の上をこうやって歩くものではありません。でも彼らはその服、と言うよりもそのベールの上を歩いたのです。」

「ゴスパは怒りましたか。」

「あのですね、聖母は怒ることを知りません。聖母は私たちのようではありません。」

「では、何故ゴスパはそんなにも長いベールを被っていたのですか。」

「そんなこと私が知っていると思いますか、私が?」

「その日に、聖母があなた達に何度も現れたというのは本当ですか。」

「はい、3回続けて。」[最初の時期にはこのような現れては消え、消えては現れるという出現が何度も続きました。]

「これは何故ですか。」

「知りません。あの人に聞きに行って下さい。人々が本当にじゃまだったというのは本当です。」(Bubalo)

 証言によると「ゴスパは彼女にさわりに行くことをそうしたい人全てに許していた」。

 幻視者たちは彼らに「さあ、あなた達はゴスパのベール、頭、手、服を触りなさい」と引導していました。このように、ゴスパに触ったり抱きついたりするのは、10回以上ありました。ロランタン師はこれについて何も語ろうとしません。このことを咎められた師は、1985年に自著の中でこう書きました。「それは根拠が無く、あまりに些細なことなので、私はそれを記録しなかった」と。

 まだあります。例えば1981年秋に、ゴスパは、マリンコ(自動車工で、当時焼酎を醸造中であった)に、来るようにと言いますが、それは彼を抱くためだった!マリンコは「正確にはキスを感じませんでしたが、ある種の風を感じました。」(Bubalo)といっています。

 丘の上で真夜中に、出現したゴスパは自分を触りたい人を招きました。しかし、人々は「ゴスパの服を、ある人はそのベールを踏みつけ」ゴスパは去りました。(Bubalo)

 8月2日にはヴィッカはブバロ師にこう言います。「おかしかった。誰かがゴスパを触るとそこに、何か痕のようなものが付いていました。ですから、最期にはゴスパは痕だらけで汚れたようになりました。」

 9月2日、イワンへの出現の途中で、ゴスパは教皇ヨハネ・パウロ2世の大きな写真にキスをします。

 ヴィッカによると11月、教皇様の写真にまたゴスパはキスをします。

 以上のような、聖母らしくない態度を見て、カリスマ運動の指導者たちだけは、驚きもせず、ショックも受けません。

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3:3 出現の周期(メジュゴリエ)

第3部メジュゴリエ・続(霊の識別:3-4)

4 出現の周期

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 ザニッチ司教はゴスパ自身が出現の終わりが近いことを、1981年の6月30日に既に宣言していることを指摘しています。第7回目の出現の後に、子供たちは主任司祭に、あと3回の出現があることをゴスパ自身が言ったと伝えました。

 Kraljevic神父はこう言っています。「この日に幻視者たちは、ゴスパが金曜日までの3日間しか来ないことを約束した、と宣言した。」

 実際、7月3日金曜日の出現の時に、彼らは、出現の後に「これが最期の御出現だ!」と宣言しました。

 ブバロ師にこの偽りに預言について尋ねられ、ヴィッカはこう答えました。

「本当に私はそんなこと覚えていません。もし誰かが[ソノママ]そう言ったのなら、きっとそれは人が私たちをそっとしておくためですよ。」

ヴィッカは都合の悪いことをすぐに忘れてしまいましたが、この事実は録音されてありました。

「私は[そんなことを言ったことを]覚えていません。でも、もしそんなことが録音されているのなら、私たちはそんな馬鹿みたいなことを言ってしまったのですよ。でも誰も私たちの言うことをわかってくれません。私たちの言うことを。・・・私はその時自分が何を言ったかを覚えていません。でも私たちのことも理解して下さい。私たちのことも。私たちは子供だったのです。[17歳の!]私たちは天使ではありません。私たちは出来ることを出来る限りやっている[??]のです。」

 では、7月1日に定められた出現の終わりは、聖母が決めたものだったのでしょうか?ヴィッカはこう言います。「でも、それは馬鹿話で[ソノママ]、私たちにはひどい話です。」

 ヴィッカは、忠実な伝令者と言うよりは、適当に話を作ることをためらいもしない「伝達者」なのか。それとも、出現自体が、まだどの様な出現になるかが決められていなかったのでしょうか。

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3:3 幻視者の最初の反応(メジュゴリエ)

第3部メジュゴリエ・続(霊の識別:3-3)

3 幻視者の最初の反応

 

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 最初の「聖母」の出現は1981年6月24日でした。私たちは、幻視者の使うクロアチア語を使って「聖母」の代わりに「ゴスパGospa」と言いましょう。

 ヴィッカはブバロ師にこう言っています。

「この日は祝日でした。でも私はミサに行きませんでした。私は数学の補習授業があってモスタールに行かなければならなかったからです。期末試験に失敗し、この補習授業があったのです。私は家にお昼頃に戻りました。バスは人で一杯で、とても暑かったのです。私たちは朝、午後に一緒に散歩をしようと決定していました。私たちはいつも一緒でした。でも、家に帰ると私は寝転がって寝てしまいました。」

 ミリヤナとイワンカがヴィッカの家に来ますと、この二人はヴィッカの母親ズラタに「起きたらすぐにヤコブくんの家で合流して」とだけ暗号のようなメッセージを残しています。

 そう言うわけで、まず、ミリヤナとイワンカが二人だけで出かけます。彼女はポッドブルドーの道を歩きます。彼女たちは隠れてゆっくりたばこを吸うために村から離れたのでした。彼女たちのポケットには町で買った紙巻きたばこが1箱入っていました。そしてたばこを一服すると村に戻り始めました。

 イワンカは言います。「私たちは二人だけで歩いていました。私たちは村の方に戻る途中でした。私は機械的に丘の方に顔を向けますと、ゴスパの影を見ました。それは光っていました。私はミリヤナに言いました。「ゴスパを見て!」ミリヤナは腕をこう出して私に言いました。「なあに、ゴスパが現れたの?」私たちは村の方に道を歩き続けました。ミリヤナは見ようともしませんでした。それから、ミルカ(マリヤの13歳になる妹)の家に行きました。ミルカは自分と一緒に羊の群を探しに行ってと私たちに頼みました。私たちは道すがらおしゃべりをし、私たちが到着すると私たちはゴスパを見ました。私たちは跪き、そこで祈りました。群は自分たちで家に帰り、それから、ヴィッカとイワンともう一人別のイワンが到着しました。」

 この間、ヴィッカの姉妹が一人ヴィッカを起こします。「『起きなさい。あんた学校に遅れるわよ。』これは冗談でした。私は起きて、服を着ました。私はミリヤナとイワンカを探しに出かけました。・・・道に出ますと、私は小さなミルカ・パヴロヴィッチと一緒の彼女たちを見つけました。3人とも何かを見つめていました。彼女たちは非常に恐れているようでした。彼女たちは、私に来るように合図をしました。私は急いで近づきました。おかしい!あの子たちは一体何をそんなに注目しているのかしら?彼女たちは叫びました。『ヴィッカ、ほら、ゴスパよ!』」(Babulo)

 彼女たちは、興奮した大きな声で近くに来いと言っていましたので、ヴィッカが彼女たちに近づき「何が起こったの?蛇でもいるの?」と叫びました。

「違うわ、蛇じゃないわ!」ヴィッカは近づきますが、出現を見て、恐れのあまり、裸足になって逃げ出してしまっています。このことは非常に重要です。ヴィッカが、出現を見て、パニック状態に陥り、逃げ出したのです。

「私は靴を脱いで、裸足で気が狂ったかのように走って逃げ出しました。村の近くまで来ますと、嗚咽が始まりました。これをやめることは出来ませんでした。何故彼女たちはゴスパと楽しんでいたのでしょうか?私には何をしたらいいのでしょうか?自分がどこにいたらいいのでしょうか?も分かりませんでした。」(Babulo)

 ヴィッカは自分の家に避難しますが、奇妙なことに、またそこに戻ろうとします。道すがら、彼女たちは、二人のイワンにあいます。当時20歳のイワン・イワンコヴィチと、16歳のイワン・ドラジーチェヴィッチであった。彼らはビニール袋にリンゴを幾つか持っていました。彼らはヴィッカにリンゴをあげようと言います。しかし、ヴィッカは「でも、リンゴなんか欲しくありませんでした。私の頭には一つの考えしかありませんでした。それは、この『ほら、ゴスパよ!』という叫びでした。嗚咽にむせびながら私はイワン[16歳の若い方のイワン、ヴィッカはこちらの方を良く知っていました。このイワンが将来幻視者になる]に、『ゴスパを見たと言っていた、あの3人の女の子たちの近くまで、私と一緒についてきて』と頼みました。『私は怖いの』と言うと『行こう、何を怖がっているんだよ』とイワンは答えました。」(Babulo)

「イワンはこうして[私と行くことを]承知して、私たちはそこに行きました。道すがら私はイワンに言いました。『私はゴスパを見ようとは思わないわ、ただあそこにいたいだけなの』と。そこに着くと私たちも、ゴスパを見ました。」(Babulo)

 16歳のイワン・ドラジーチェヴィッチもこの最初の日にゴスパを見ています。彼もヴィッカと同じように、ゴスパを見ると恐ろしさにつまされ、逃亡します。ヴィッカはこう言っています。「イワンは囲いを駆け下りてすぐに逃げ出しました。そして、リンゴや自分の持っていたものを全て放り出していきました。」(Babulo)

「私はイワン・ドラジーチェヴィッチが一目散に逃げ出すのを見ました。そして、私はイワン・イワンコヴィッチに尋ねました。

「あなた何か見た?」

「僕は何か真っ白くて動くものを見たよ」と彼は答えました。

今度は、私たちと一緒にいたミルカ、つまりマリヤの妹に何か見たかと聞いてみました。ミルカは「私はゴスパを見た」と言いました。」

 この2回目は、ヴィッカは恐ろしさをこらえて、何かを見ようとそこに残りました。

「時は夕方の6時半で、少し雨が降っていました。少し暗くなりかけていました。私はそれが本当に真っ白なのを見ました。私はその服と黒い髪を見ました。彼女は右手に何かを持っており、隠したり見せたり絶えずしていました。でも私にはそれが何か見ることが出来ませんでした。彼女はこうやって何かを見せていました。それから私たちが近くに行くようにと呼びました。でも誰が行きたがったでしょうか?私たちは互いに「彼女が私たちを呼んでいる、でも誰が行こうか?」と言い合っていました。」

 ヴィッカによると、ゴスパのシルエットは200-300メートル離れたところからでも見えたそうです。(ローランタン『メジュゴルイエにおける聖母マリアの出現』p102)

 ミリヤナによると、ゴスパを見たとき彼女は、恐ろしさと言うよりも喜びの身の毛のよだつのを感じました。この晩はゴスパは何も語りませんでした。

 少し後になるとヴィッカはブバロ神父にこう語っています。

「何度も彼女は私たちに手で合図をしました。」

 ブバロ神父が「あなた達は近づきましたか?」と聞きますと、ヴィッカは「いいえ、私たちはあまりにも怖かったのです!」と答えています。

ブバロ神父「あなたはどれだけそこにいましたか?」

ヴィッカ「正確にはわかりません。もしかしたら5、6分。そのあとで私はまた自分の家に逃げました。私は嬉しかったけれども、同時に恐ろしかったのです。私は怖かった、でも満足でした。私は長椅子に身を投げ出し、泣きじゃくりました。泣きまくりました。」

 その他の者はヴィッカの後5、6分まだ残っていました。

 この第1の御出現で、この影を見て皆はゴスパであると確信していました。しかし、それと同時に、天からの出現が醸し出す畏敬の念と言うよりも、むしろ強烈な恐怖感が走りました。恐れがそこにみなぎっていました。

 ルプチッチ師の質問に、6人とも怖かったと答えています。ヴィッカによれば、「第1日目は、私たちは皆、顔をしかめてわめくような声を出しました。」と言います。(ロランタンp103)

 ヴィッカは家に帰ると全てを皆に話しました。信じる者もあり、びっくりしない者もあり、UFOだと言う人もあり、人は適当なことを言い合っていました。しかし、ミリヤナとイワンカは隠れてたばこを吸いに丘まで行ったことを言わずに黙っていたようです。

 恐怖、恐れ、失神、このような雰囲気での御出現に、私たちは少なくとも不安を感じます。

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第一の出現の状況(メジュゴリエ)

第3部メジュゴリエ・続(霊の識別:3-2)

2第一の出現の状況

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 何故彼らは、丘の上に集まったのでしょうか。モスタールの司教は『メデュゴリエの出来事に関する報告書』の中でこう書いています。

「既に最初から、嘘の臭いがすることがある。例えば、子供たちがポッドブルドーの丘(出現地)に行った動機は、違っていた。或る時は羊の群を集めにと言い、或る時は花を集めに、或る時はたばこを吸いに行ったという。」

 ロランタン師は、この幻視者となるべき彼女たちが隠れて丘の上でたばこを吸いに行っていたと言うことを不手際に否定しようとしています。しかし、モスタールの司教、ザニッチZanic司教は物事をきちんと言います。

 イワンカは、司教にたばこを吸いに丘の上に登ったとそう告白し、そう宣言しました。別の幻視者のヴィッカは、ミリヤナとイワンカがこのことを司教様の前で誓ったことを証言しています。

 ヴィッカ曰く「彼女たちは、自分の立てた誓いに恐れをなして、丘の上でたばこを吸ったと言いました。」

 ロランタン師の説明によれば、「全て真理を必ず言う」という誓いを立てたのに恐れをなして、彼女たちは司教に嘘をついたのだった!理解できる人はこれを理解してみてほしい。嘘をつかないという誓いに恐れをなして嘘をつくとは!!

 ヴィッカは、彼女たちが丘の上でたばこを吸ったことは認めますが、たばこを吸うために丘に登ったのではないと言います。「それに、あたしがもしたばこを吸ったとしれも、それが一体何になると言うの?」と彼女は言い放ちます。ロランタン師は困ってしまって「これは大したことではない」といいます。では、何故これを隠すのでしょうか。何故、司教には、最初に花を摘みにとか、羊の番をしになどと嘘をついていたのでしょうか。

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第3部メジュゴリエ・続 3:1

第3部メジュゴリエ・続(霊の識別:3-1)


1出現以前の幻視者 「他の人よりも良くも悪くもない」(幻視者自身の表現)

 

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 「メジュゴルイエは種々の点で[第二バチカン公会議後のあり方を具現し、全く別の、全く新しい状態の中にある。聖母を見た6人はもはや子供ではない(一人を除いて)。彼らは皆十六歳から十八歳までの年齢で、思春期という不安定な時期は通り過ぎている。」(ロランタン『メジュゴルイエにおける聖母マリアの出現』p29)

 彼ら6人のうち5人はメデュゴリエMedjugorie村の抱える5つの部落のうちの1つであるビヤコヴィチで生まれました。メデュゴリエは、モスタルMostar教区の小教区であり、「小教区の教会はかなり大きく,1969年に建てられ、聖ヤコボに奉献されている。親鳥を囲む雛のように、この教会を囲んで5つの村[部落]があり、総勢530家族の最大の宝物はカトリックの信仰である。この5つの部落の1つがビアコヴィチで、『出現の山』の麓に位置している。ほとんどが岩のやせた土地で、主にたばこと銘品のぶどう酒を産出している。」(バルバロ神父『メデュゴーリエでの聖母の出現』pp34-35、1987年ドン・ボスコ社を参照)

 ミリヤナMirjianaはサラエボの高校に通っていました。彼女は「サラエボの金髪美人」のあだ名を持っていました。

 ミリヤナは、最初の「出現」の後にこう質問を受けました。「聖母があなたに御出現になっても、あなたは男の子たちとつき合い続けているし、彼らとのおしゃべりがそんなに好きで、一体何になるのですか。」ミリヤナは答えて、「聖母は私たちを偽りの偽善的な信心家にしようとするつもりはありません。」(P. Marijan Ljubic, "La Vierge Marie apparait en Yougoslavie", p.44, 1984)

 警察の要求で、ある女医はこう尋ねました。「あなた達はマリア様の娘にしてはあまりにも流行を追いすぎています。」(Babulo, p37)

「ミリヤナは外見上大都会のどこにでも見かける普通の現代的娘です。・・・出現は、彼女の生活様式をたいして変えませんでした。」(S. Kraljevic, "Les apparitions de Medjugorje", p68. 1984)

 ミリヤナは、ヴィッカVickaとイワンカIvankaとともにトリオを組み、この3人は離れることが出来ませんでした。この三人は「毎年の夏はいつも一緒だった」(ヴィッカ)。ヴィッカとイワンカ、そしてマリヤMarijaはモスタールで勉強をしていました。ヴィッカは洋服学校、マリヤは理容師学校、イワンカは普通高校に通っていました。

 彼女たちは、流行を追い、現代的な若者のなりをし、少し開放的です。ロランタン師によると「イワンカは背も高く顔もきれいで、部落の間ではもう恋人がいると噂されていました。」 

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